中学歴史「自由民権運動と立憲国家の成立」

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中学歴史「自由民権運動と立憲国家の成立」についてまとめています。自由民権運動と立憲国家の成立に関して、沖縄や清、朝鮮国、帝国議会の開設などにもふれています。それでは、中学歴史「自由民権運動と立憲国家の成立」です。

近代的な国際関係

沖縄県の設置をします。琉球王国は、帰属を巡り清(中国)との対立。日本の領土として琉球藩を置きます。

  • 台湾出兵…琉球の漁民が台湾の先住民に殺される事件が発生。台湾に出兵し、清から賠償金を得る。
  • 琉球処分…軍隊の力を背景に沖縄県を設置。
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清と朝鮮国との関係

  • 清…対等な立場の日清修好条規を結ぶ。
  • 朝鮮国…武力で開国を迫る。征韓論が高まりますが、岩倉具視や大久保利通らが反対。西郷隆盛、板垣退助らが政府を去る。(明治六年の政変)。軍艦を派遣して、江華島事件を引き起こし、日本に有利な不平等条約の日朝修好条規を結んで開国させます。

欧米との関係

  • ロシアと樺太千島交換条約を結ぶ。
  • 小笠原諸島の領有を各国に通告する。
  • 近代化を欧米諸国に認めさせるため、欧米化政策をすすめ、法律の整備に力を注ぎました。

自由民権運動の始まりと士族の反乱

自由民権運動の始まり

板垣退助らは大久保利通らと政策を専制政治であると批判。国民が政治に参加できる道を開くべきだと主張し、民撰議員院設立の建白書を提出し国会の開設を求めました。板垣退助は、高知で立志社を結成し、運動を進めました。

士族の反乱

各地で、新政府に不満を持つ士族が武力蜂起。鹿児島の士族らが、西郷隆盛を中心に西南戦争をおこす。徴兵制で集められた政府軍に鎮圧される。藩閥政治への批判は、言論によるものが中心となる。

自由民権運動の高まり

自由民権運動は、国民が政治に参加する権利の確立を目指しました。西南戦争後、言論による政府批判が強まります。大阪で全国の代表が集まって、国会期成同盟を形成し、国会の開設を求めました。多くの憲法草案が民間で作成され、植木枝盛中江兆民はフランスの人権思想を紹介しました。

政党の結成

大隈重信は、憲法の即時制定と国会の早期開設を主張しました。開拓者の施設や財産の払い下げをめぐる事件で民権派は政府を攻撃。伊藤博文は10年後に国会を開くこと約束。(国会開設の勅諭)。大隈重信を政府から追い出します。

国会開設に備え、板垣退助が自由党を、大隈重信が立憲改進党を結成。

立憲制国家の成立

憲法の準備が行われます。政府の弾圧と秩父事件などの民権派が関係した激化事件により自由民権運動は停滞。

  • 伊藤博文…ヨーロッパに留学し、君主権の強いドイツ(プロセイン)などの憲法を学ぶ。帰国後に草案を作成。立憲政治(憲法に基づく政治)の開始に備え、内閣制度作り、伊藤博文が初代の内閣総理大臣(首相)に就任。

大日本帝国憲法

大日本帝国憲法は、1889年2月11日天皇が国民与える形で発布。天皇が国の元首として統治すると定められ、帝国議会の召集、解散、軍隊の指揮、条約の締結、戦争を始めることなどが、天皇の権限として明記されました。

  • 議会…貴族院と国民が選挙した議員からなる衆議院の二院制。さまざまな制限がありました。
  • 国民…「臣民」と制定された。議会で定める法律の範囲内で、言論・出版・集会・結社・信仰の自由のなどの権限が与えられた。
  • 民法や商法が公布され、法制度が整備された。

教育勅語

忠君愛国(ちゅうくんあいこく)の道徳が示され、教育の柱になり、国民の精神的・道徳的なよりどころとされた。

帝国議会の開設

  • 衆議院議員の選挙権を与えられたのは、直接国税を15円以上納める満25歳以上の男子のみ。人口の1.1%(約45万人)だった。
  • 第1回衆議院議員選挙の結果、自由民権運動の流れをくむ野党(民党)が多数を占める。
  • 議会制度が始まり、日本はアジアで最初の近代的な立憲制国家となった。
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