【中学歴史】アヘン戦争・南京条約・大平天国の乱

【中学歴史】アヘン戦争・南京条約・大平天国の乱についてまとめています。

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アヘン戦争

アヘン戦争は、清の役人が密輸厳禁策を強行して、イギリス商人のアヘンを没収して焼き捨てたため、イギリスは自国の貿易や商人の保護を口実にして、1840年、清で起きた戦争です。

約2年間の戦争で近代的な兵器をもつイギリスは、強力な艦隊を送って広州や上海を占領し、南京にせまって清を降伏させた。

南京条約

1842年、イギリスと清は講和条約として南京条約を結び、清は広州・上海など5港を開き、イギリスに香港をゆずり、多額の賠償金をしはらった。

1843年には清は、イギリスの領事裁判権を認め、自国に関税自主権のない不平等条約を結ばされた。さらに、清は アメリカ合衆国・フランスとも同様の条約を結んだ。

アヘン戦争に敗れた清では、欧米諸国の侵略が進み、植民地のような状態にされていった。開国によって綿製品が大量に流入し、綿織物の生産を副業にしていた農民のくらしを圧迫するとともに、戦費や賠償金の支払いのために重税が課せられ、人々のくらしはさらに苦しくなった。

大平天国の乱

人々の生活が苦しくなると、満州人の清を倒して漢民族の再興をはかり、貧富の差のない平等な社会をめざす動きがおこった。1851年、洪秀全は農民を率いて兵をあげ、国号を建業国とし、1853年に南京を占領して都とした。

太平天国は、清の義勇軍とイギリスなどの外国人部隊の攻撃を受け、内部分裂もあって、1864年に滅んだ。民族主義と平等な社会の建設をかかげた反乱は、辛亥革命のちの中国の民族運動に大きな影響を与える。

太平天国などの混乱のなか、イギリスとフランスは首都の北京を占領し、清に市場開放やキリスト教の布教を認めさせるなど、欧米諸国はますます中国侵略を強めていった。

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