【中学歴史】武士のおこり・成長・反乱についてまとめています。
武士のおこり
10世紀ごろから、国司が不正に税を取り立てたり、土地をうばったりするなど、地方政治が乱れるなかで、豪族や名主らは、土地を守り、勢力を広げるため、一族の者(家子)や家来(郎党)に武芸を習わせた。これが武士のおこりである。ただ、武士の中には、国司に仕えて地方の役所(国府)の警備にあたる者や、都で宮中の警備にあたる者もいた。
武士団の誕生
やがて、これらの武士どうしが結びついたり、地方に土着した貴族などと主従関係を結んだりして、しだいに武士団を形成していった。
武士の成長
皇族出身の源氏と平氏は、多くの武士を従えて大武士団を形成し、その棟梁(一族の長)として勢力を強めていった。武士が力をつけてくると朝廷に対して反乱をおこす者が現れ
- 935年…下総(千葉県北部と茨城県の一部)の豪族の平将門が関東で乱(平将門の乱)をおこす。
- 939年…瀬戸内海一帯で藤原純友が海賊を率いて乱(藤原純友の乱)をおこしたが、941年に源経基らに平定された。
- 940年…一族の平貞盛や藤原秀郷らに討たれた。
これらの地方武士の反乱は、貴族には手におえず、同じ武士の力で平定されたことから、朝廷や貴族は武士の力を認めざるをえなくなり、地方武士を都によび出し、屋敷や身辺の警護などをさせるようになった。
東北地方の武士
東北地方で1051年に陸奥の豪族の安倍氏が国司に対して反乱をおこし前九年の役(合戦)、1083年には、出羽の清原氏の間で内部争い後三年の役(合戦)がおこった。この2度の争乱を源頼義・義家父子らが平定したことから、以後、源氏は東国で勢力をのばしていった。
後三年の役(合戦)に勝利した藤原(清原)清衡は、平泉(岩手県)を根拠地にして勢力を広げ、基衡・秀衡と続く奥州藤原氏3代、約100年の栄華のもとを築い。中尊寺金色堂に代表される平泉文化が栄えた。
- 中尊寺金色堂…地方に伝わった浄土教の影響を強くうけた建築物である。
- 阿弥陀堂…院政期には奥州藤原氏によって、平泉に阿弥陀堂を中心とする寺院が建立された。
- 厳島神社…平安時代末期には、平清盛ら平家一門が、厳島神社を信仰し華麗な装飾をほどこした経巻を奉納した。
コメント