中学歴史「日本の中国戦略」

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中学歴史「日本の中国戦略」についてまとめています。日本は日英同盟を理由に、第一次世界大戦に参戦します。その後、日本は中国政府に、二十一か条の要求をつきつけます。そのあたりについて、詳しく記述しています。それでは、中学歴史「日本の中国戦略」です。

日本の第一次世界大戦への参戦

第一次世界大戦が始まると、ヨーロッパが主要な戦場になり、欧米列強のアジアへの関心はうすれていた。これを好機ととらえて、日本政府(第2次大隈重信内閣)は、世界大戦に参戦して中国での利権を拡大しようとした。こうして、1914年8月、日英同盟を理由にドイツに宣戦し、イギリスが属する連合国側で参戦した。日本軍は11月までに、中国におけるドイツの軍事基地である青島をふくむ山東半島赤道以北のドイツ領南洋諸島の一部を占領した。

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日本国内の状況

第一次世界大戦が起こると、国産化が困難で輸入に依存していた機械や化学製品の一部は、深刻な品不足になります。唯一、外貨を稼げるのは、製糸業であり、生糸の大部分はアメリカへ輸出。また、鉄鋼、造船、染料、肥料など重化学工業が成長し、工業は生産総額で農業を上回るようになりました。物資の供給が大不足になり、各種の物価は暴騰します。

日本の中国侵略

日本政府は政情の不安定な中国の袁世凱政府に対して、1915年1月、二十一か条の要求をつきつけた。二十一か条の要求のなかで、日本は中国に対して、山東省にあるドイツの権益を受けつぐこと、旅順・大連の租借期限や南満州鉄道の利権の期限延長、南満州や内モンゴルでの日本の利権の拡大、日本人を政治・財政・軍事顧問として中国政府に採用することなどを要求した。

中国の対応

中国政府は、二十一か条のの要求を内外に発表して、その不当性を訴えるなど強く抵抗したが、日本は軍事力を背景にして、日本人顧問の採用など一部分を保留にし、1915年5月9日、要求の大部分を認めさせた。日本の要求は中国の主権を侵すものだったため、中国の人々は強く反発し、5月9日を「国恥記念日」として、各地ではげしい反日運動がおこった。また、中国での日本の利権拡大に対して、欧米諸国の警 戒を招くことになった。

二十一か条の要求の一部

  • 中国政府は、山東省におけるドイツの権益を日本にゆずる。
  • 旅順や大連の租借期限、南満州鉄道の利権の期限を、さらに99か年ずつ延長する。
  • 南満州・東部内モンゴルでの鉱山採掘権を日本にあたえる。
  • 中国の中央政府に、政治・財政・軍事の顧問として有能な日本人を招くこと。

など。

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