【中学歴史】大日本帝国憲法についてまとめています。
大日本帝国憲法の発布
大日本帝国憲法が発布され、天皇が国の元首となりました。立憲制国家の成立し、帝国議会では、貴族院と衆議院の二院制となりました。1889年2月11日に発布されました。
- 性格…天皇が国民にあたえる憲法(欽定憲法)として制定されました。
- 元首…天皇が国の元首として日本を統治するとされました。
- 議会…貴族院と国民が選挙した議員からなる衆議院の二院制。さまざまな制限がありました。
- 国民…「臣民」と制定された。議会で定める法律の範囲内で、言論・出版・集会・結社・信仰の自由のなどの権限が与えられた。
- 民法や商法が公布され、法制度が整備された。
天皇の権限(天皇大権)
- 帝国議会の召集・解散
- 軍隊の指揮(統帥権)
- 条約の締結や戦争を始めること(宣戦)など
内閣の役割
天皇の政治を助けることが役割であり、各大臣は天皇に対して個々に責任を負うとされたため、議会に対する責任は不明確でした。
- 議会…貴族院と衆議院の二院制がとられました。
- 国民の権利…国民は「食」とされ、法律の範囲内で、言論、出版、集会、結社、信仰の自由などの権利が認められました。また、完全ではないものの、議会を通した国政参加の道が開かれました。
帝国議会
- 貴族院…皇族・華族、天皇から任命された勅選議員などで構成されました。
- 衆議院…選挙で選ばれた議員で構成されましたが、選挙権・被選挙権とも男性のみにあたえられ、納税額による制限もありました。
- 内閣と議会…予算や法律の成立に議会の同意が必要だったため、内閣は議会の協力が必要でした。
国家体制の整備
- 法制度の整備…刑法、民法、商法などの法律が制定されました。
- 教育勅語…1890年, 教育勅語が出され, 忠君愛国の道徳が示されました。教育勅語は教育の柱として、国民の精神的、道徳的なよりどころとして、日本社会のあり方に大きな影響をおよぼしました。
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