【中学歴史】第二次世界大戦についてまとめています。
第二次世界大戦
ドイツの侵略がおこります。オーストラリア、チェコスロバキア西武を併合。ソ連と独ソ不可侵条約を結びました。ドイツがポーランドに侵攻。イギリス、フランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が始まります。
ドイツは、北ヨーロッパや西ヨーロッパ諸国の国々を攻撃。パリを占領して、フランスを降伏させる。さらに、独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻。
イタリアがドイツ側に立って参戦。1940年、ドイツ・イタリア・日本は、日独伊三国同盟を結ぶ。関係を強化する。
ヨーロッパでは、ファシズムの枢軸国と反ファシズムの連合国との戦いとなりました。
アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相が戦後の平和構想などを示す大西洋憲章を発表。ファシズムとの対決姿勢を明らかにする。その他の国々は、ドイツの過去の占領政策に対してレジスタンスト言われる抵抗運動を行った。
ドイツの占領政策
ヨーロッパのほとんどが支配下に置く。ユダヤ人を徹底的に差別。アウシュビッツなどの強制収容所に送り、労働者を行わせ、殺害。ヨーロッパ各地で、ドイツへの協力拒否や武力などに抵抗運動(レジスタンス)。
日本のファシズム体制
ドイツが、ヨーロッパ各地を占領していった1940年、日本の軍部や官僚・政治家の間では、ナチス=ドイツにならった一国一党の強力な政治体制をめざす動きが活発化した。
近衛文麿がこの新体制運動の中心になると、政党や各団体は解散し、大政翼賛会がつくられ、議会は形だけのものとなった。
大政翼賛会は、その後、部落会・町内会・隣組を下部組織とし、大日本産業報国会や大日本婦人会などをその傘下におさめて、 国民を一元的に統制する団体となった。こうして日本のファシズム体制が確立した。
1939年に始まったヨーロッパの第二次世界大戦におけるドイツの勝利は、ドイツ・イタリアと結んで南方に進出しようという日本の気運を 高めた。1940年、第2次近衛文麿内閣は、フランス領インドシナの北部へ進駐し、アメリカ・イギリスと対抗するためにドイツ・イタリアと日独伊三国同盟を結んだ。結果、日米関係は悪化した。
1941年、日本は北方の安全確保のために日ソ中立条約を結んだが、ヨーロッパの戦争の行方をみて北進と南進の両面を考えた。しかし、北進は断念され、7月にフランス領インドシナの南部に進駐し、南進が決定的になった。
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