【中学歴史】江戸時代の学問(儒学・国学・洋学・蘭学)

【中学歴史】江戸時代の学問(儒学・国学・洋学・蘭学)についてまとめています。

江戸時代の学問

儒学の教えは、幕府の封建的な身分差別の方針と合ったので、政治の安定のために、儒学の中でも特に身分の上下と秩序を重んじる朱子学を官学として用い、武士たちに学ばせた。

国学

水戸藩では元禄時代に徳川光圀が日本の歴史の編さん事業(『大日本史』編さん)を始め、日本の歴史への関心が高まった。国学は、江戸時代中ごろに始まった日本のむかしの学問や文化を研究し、日本人の精神のもとや古くからの道徳をあきらかにしようとした学問である。

  • 賀茂真淵…万葉集の研究によって、むかしの天皇中心の政治の精神にかえることを主張して儒学などの外来の考えをさけた。
  • 本居宣長…賀茂真淵の考えをうけついで、古事記の研究に一生をささげ、『古事記伝』という本をあらわして国学を大成した。
国学の発達の影響
日本のむかしのことが研究されたり、国史の研究がさかんになったりして、天皇が政治をするのが正しい姿であると説かれた。そのため、皇室を尊び、外国をうちはらうという尊王攘夷の考えが生まれてきた。この考えは、さらに発展して、幕府を打ちたおそうという倒幕運動と結びついていった。

洋学

18世紀のはじめ、8代将軍吉宗がキリスト教に関係のない洋書の輸入を許し、一方では、青木昆陽にオランダ語の研究をさせたことなどがきっかけとなり蘭学が発達した。

洋学の発達の影響
鎖国の日本でただ一つのヨーロッパのオランダの学問として蘭学が学ばれた。のちには、イギリスなどヨーロッパの学問である洋学として学 ばれていった。医学など自然科学を中心に発展し、西洋の科学的な考え方が日本にとり入れられた。

蘭学

18世紀の後半に、医者の前野良沢、杉田玄白らが「解体新書」という本を出した。これは、日本ではじめての西洋医学の本である。

長崎のオランダ商館の医師であったドイツ人のシーボルトは、長崎に鳴滝塾を開き、多くの日本人にヨーロッパの学問を教えた。

その他江戸時代の教育

  • 伊能忠敬…全国の湾岸線を測量し、正確な日本地図を作成
  • 藩校…武士に学問や武道を教えて、人材の育成を図る。
  • 寺子屋…町や農村にできる。「読み・書き・そろばん」などの実用的な知識を教える。

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