中学歴史「ファシズムの意味と台頭」

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中学歴史「ファシズムの意味と台頭」についてまとめています。ファシズムとは、軍国主義的な独裁政治です。その中で、ヒトラーが政権をにぎり、ファシズムの体制を固めます。イタリアでは、ムッソリーニがファシスト党を率いて独裁政治を行います。。そのあたりについて、詳しく記述しています。それでは、中学歴史「ファシズムの意味と台頭」です。

ファシズムの台頭

ファシズムとは、反民主主義・反自由主義をかかげ,他 の民族を犠牲にしてでも国家の繁栄をはかろうとする独裁政治のことで、「全体主義」ともいう。1920~1930年代に民主主義の伝統が浅い国々に現れ, ドイツとイタリアが代表的なファシズムの国で、大衆と結びついて成功した。 この2つのファシズム国家は、資本主義の発達の歴史が浅く、国民の購買力が弱く、植民地も資源も少なかった。 そこで、軍事力を背景として対外侵略の道をめざした。

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ドイツの動き

第一次世界大戦後,敗戦国のドイツでは、ベルサイユ条約 によって全植民地を失い、賠償金の負担が国民に重くのしかかり、そのうえ、世界恐慌によって経済が混乱していた。そうしたなかで、ヒトラーを党首とするナチスはベルサイユ条約の破棄、ユダヤ人の排斥を唱え、大資本家や軍部の援助を受け、国民の支持を得て力をのばして、1932年の総 選挙で第1党に躍進した。1933年にヒトラーが保守勢力や大企業の支持を得て首相になると、当時、世界で最 1足主的といわれたワイマール憲法を無視し、国民の言論の自由をうばい、ナチス以外の政党を禁止して一党独裁を完成させた。翌年、ヒトラーは総統の地位につき、ファシズムの体制を固めた。1933年に、ドイツは軍備の平等を主張して国際 連盟を脱退(1926年に加盟)し, 1935年にはベルサイユ条約で制限されていた再軍備を宣言した。

イタリアの動き

第一次世界大戦後、戦勝国のイタリアでも、経済が混乱し、政治的対立が続いていた。こうしたなかで、ムッソリーニの率いるファシスト党が、国王をはじめ、軍人・資本家・地主らの支持を得て、1922年に政権をにぎった。ムッソリーニは世界恐慌の前後、ファシスト党による独 裁を固め、農業の増産をめざす干拓・入植事業 電機・化学などの新工業の育成と経済自立政策をおし進めた。植民地獲得競争におくれていたイタリアは、1935年にアフリカ北東部のエチオピアを侵略し、翌年、これを植民地 とした。そして、1937年には国際連盟を脱退した。

人民戦線内閣とスペインの内戦

スペインの人民戦線内閣は、フランコらの反乱で倒されます。フランスやスペインでは、ファシズムや戦争に反対する人々が、民主主義を守るために統一戦線(人民戦線)を結成し、1936年に、スペイン(2月)とフランス(6月)で人民戦線内閣を成立させた。しかし、フランスの人民戦線内閣は、不景気を克服することができず、1年余りで退陣した。一方で、スペインでは、フランコ将軍の軍隊などの保守派(ファシズム勢力)が人民戦線内閣に対して反乱をおこした(スペイン内職のおこり)。ドイツ・イタリアはフランコ軍を支援し、ソ連は人民戦線内閣を支援し、世界の反ファシズム諸国も国際義勇軍を編成して人民戦線側を支援した。この内戦はフランコ軍の勝利に終わり(1939年)以後、フランコ総統のもとで独裁政治が進められた。

まとめ

ファシズムは、民主主義や自由主義を否定する全体主義の体制。

  • イタリア…ムッソリーニのファシスト党が政権をにぎり、独裁を行う。世界恐慌で経済を行き詰まるとエチオピアを侵略して、併合しました。
  • ドイツ…ヒトラーの率いるナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)が、ドイツ民族を優秀さを強調する宣伝活動を支持を集め、政権を握りました。ユダヤ人を迫害し、共産主義者や自由主義者を攻撃しました、国際連盟から脱退し、軍備を増強し、軍事大国。全体主義国家でした。

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