中学歴史「源平合戦(争乱)」

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中学歴史「源平合戦(争乱)」についてまとめています。

源平合戦(争乱)

平氏の政治への不満が高まり、源氏が平氏をほろぼす

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平氏の政治

平清盛が太政大臣となったのをはじめ、平氏一族は高い位につき、武家政権を開きました。

  • 経済的な力…多くの荘園を手に入れたこと,航路や港を整備して栄との貿易から利益を得たことなどで、経済的な力をたくわえました。
  • 平氏政権への反発…平清盛が、幼い孫を安徳天皇(1178~85)として、朝廷の政治を思うままに動かし始めたことから、貴族や寺社の間に平氏への反感が高まりました。

源平の争い

平清盛と後白河上皇との対立が源平の争乱へと拡大 しました。

  • 争乱の始まり…平清盛が後白河上皇を幽閉して院政を停止させると、後白河上皇の皇子が平氏追討の命令を出しました。→諸国の武士が兵をあげました。

争乱の経過

  • 1180年…源頼朝(147~99) が伊豆(静岡県)で挙兵しました。
  • 1183年…源義仲(1154~84) が平氏を都から追い出しました。
  • 1184年…源義経(1159~89)が上皇と対立した源義仲を破りました。源義経がニノ谷の戦い(神戸市)で平氏を破りました。
  • 1185年…源義経らが、壇ノ浦(下関市)で平氏をほろぼしました。

まとめ

平清盛が政治の実権をにぎり、太政大臣になりました。一族も高い地位につき、多くの荘園を手に入れました。また、兵庫(神戸市)の港を整備、航路を整え、宋(中国)と貿易しました。平氏が朝廷の政治を思うままに動かしました。しかし、これには、貴族や寺社、地方の武士は反感をもちます。

  • 源頼朝の挙兵…鎌倉(神奈川県)を本拠地にし、関東地方を支配します。弟の源義経に平氏を攻めさせます。壇ノ浦(山口県)で源氏が平氏を滅ぼしました。
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