中学歴史「五・一五事件と二・二六事件」

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中学歴史「五・一五事件と二・二六事件」についてまとめています。五・一五事件は、1932年、犬養毅首相が海軍の青年将校らに殺害された事件です。その後の、二・二六事件のあとには、軍部の発言力が強まっていきます。そのあたりについて、詳しく記述しています。それでは、中学歴史「五・一五事件と二・二六事件」です。

五・一五事件

政党政治に不満をいだく海軍の青年将校や国家主義者の間には、軍部政権をめざす動きが高まってきた。1932年5月15日、海軍の青年将校の一団が、首相官邸をおそって、「満州国」承認に反対する態度をとったとして、犬養毅首相を殺害した。また、別働隊は内大臣官邸・警視 庁・立憲政友会本部・日本銀行・三菱銀行・東京近郊の変電所数か所などをおそった。これを五・一五事件という。この結果、1924年の加藤高明内閣から約8年間続いてき た政党政治が終わり,これ以後、再び軍人や官僚による内閣がつくられるようになった。

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加藤高明

男子普通選挙法の実現に向けて、原内閣のあと、非政党内閣が続きます。政党勢力は第二次護憲運動をおこし、憲政会総裁の加藤高明を首相とする連立内閣が成立します。

  • 普通選挙法の成立…1925年、納税額による制限を廃止し、満25歳以上の男子選挙権を与えました。
  • 治安維持法…治安維持法は普通選挙法と同時に制定。共産主義に対する取り締まりを強化。加藤内閣以後8年間、政党の総裁が内閣を組織。憲政の常道という。

ニ・二六事件

1930年代半ばごろには軍部、とくに陸軍の発言力が強まった。北一輝(国家主義者)らの影響を受けた陸軍の青年将校らは、軍部内閣の独裁による国家の改造を計画した。1936年2月26日、陸軍の急進的な青年将校らは、約1400名の兵を率いて首相官邸や有力な政治家、警視庁などをおそい、大蔵大臣高橋是清・内大臣斎藤実・教育総監渡辺錠大郎らを殺害し、一時,、東京の中心部を占拠。これを二・二六事件という。

ニ・二六事件は正規軍による大反乱で前例のないものだったので、陸軍首脳部は大いに動揺したが、昭和天皇は速やかな鎮圧を命じた。反乱部隊は4日後に平定され、特設軍法会議での非公開裁判で、幹部の青年将校17名と、北一輝ら民間人2名は死刑にされた。ニ・二六事件以後、軍部の政治的な発言力が強まり、議会は無力化していった。軍国主義に反対する思想の取りしまりもいっそう強化され、共産主義者や社会主義者だけでなく、自由主義者までもが、治安維持法(1928年の改正で、罰則などが強化された)によって弾圧されるようになった。

まとめ

  • 五・一五事件…満州国の承認に反対する犬飼毅首相が海軍将校の一団に暗殺される。後継の斉藤優内閣が満州国を承認。政党内閣の終わりました、これに対して、国際連盟は、リットン調査団を派遣して調査。総会で満州国を認めず、日本軍の満鉄沿線への撤兵を求める勧告を採択。日本国際連盟を脱退。
  • ニ・ニ六事件…ニ・ニ六事件は、1936年陸軍の青年将校らが軍事政権を実現しようと、首相官邸や警備庁などを襲撃、中心部を占拠するが、失敗に終わりました。事件後、軍部の政治的な発言力が強まる。共産主義勢力に対抗するためドイツと日独防共協定を結ぶ。

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