中学歴史「五・四運動と三・一独立運動」

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中学歴史「五・四運動と三・一独立運動」についてまとめています。中国で反日・反帝国主義の五・四運動がおこります。朝鮮では、日本からの独立をめざす三・一独立運動がおこります。そのあたりについて、詳しく記述しています。それでは、中学歴史「五・四運動と三・一独立運動」です。

五・四運動

中国は, パリ講和会議で二十一か条の要求の取り消しを求めたが無視されたため, 1919年5月4日,北京大学の学生らが講和条約に反対し、二十一か条の要求の破棄を求めて、抗議行動をおこした。この運動は中国全土に広がり、日本などの帝国主義勢力や軍閥に反対する愛国的民主運動へと発展した(五・四運動)。これをきっかけに、孫文らは1919年に中国国民党を結成し、1921年には中国共産党も結成された。両党は協力して軍閥打倒をさけぶとともに、イギリスや日本などの帝国主義勢力に対抗した。孫文のあとをついだ 国民党の蒋介石は、1926~28年に北伐(北方軍閥を倒すため の闘い)を行い、1927年4月、南京に国民政府を樹立した。

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二十一か条の要求

1915年1月、二十一か条の要求をつきつけた。二十一か条の要求のなかで、日本は中国に対して、山東省にあるドイツの権益を受けつぐこと、旅順・大連の租借期限や南満州鉄道の利権の期限延長、南満州や内モンゴルでの日本の利権の拡大、日本人を政治・財政・軍事顧問として中国政府に採用することなどを要求。
確認中学歴史「日本の中国戦略」

三・一独立運動

日本からの独立を求めていた朝鮮では、1919年3月1日、京城(現在のソウル)で日本からの独立を求める宣言が発表され、人々は「独立万歳」をさけんでデモ行進をした。この動きはたちまち,朝鮮全土に広がった(三・一独立運動)。 日本は警察や軍隊を動員して、これを鎮圧したが、政策転換をせまられ、憲兵(軍事警察官)が主体だった警察制度を 改め, 朝鮮語の新聞・雑誌の発行を許可するなど、武力による支配をゆるめた。しかし、その後も朝鮮の近代化を求める動きは活発になり、独立運動も国の内外で続けられた。

まとめ

  • 五・四運動…北京での学生集会をきっかけに、反日運動が起こる。帝国主義に反対する国民運動へと発展。孫文が、中国国民党を結成し、中国共産党と協力して民族の自立と国家の統一を目指しました、
  • 三・一独立運動…朝鮮の独立運動で、日本の植民地支配下の朝鮮て、知識人や学生がソウル(京城)で独立を宣言する文書を発表。人々は「独立万歳」と叫んでデモ行進を行いました。朝鮮総督府(日本が朝鮮支配のために設置した機関)が武力で鎮圧する一方で、政治的な権利を一部認めるなどの統治の方針を示しました。

インドの運動

インドでは、非暴力不服従を求めるガンジーの指導で、イギリスからの独立と自治を求める運動が高まる。第一次世界大戦後、アジアやアフリカで民族独立を目指す運動が活発になる。

あわせて確認

以上が、中学歴史「五・四運動と三・一独立運動」となります。

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