中学歴史「異国船打払令」

シェアする

スポンサーリンク

中学歴史「異国船打払令」についてまとめています。

異国船打払令

19世紀、外国船が日本に接近します。その対応として、日本は異国船打払令を出します。

スポンサーリンク

外国船の接近

18世紀後半からロシア船が、19世紀になるとイギリスやアメリカの船が、日本に近づくようになりました。

  • ロシア…漂流民を送り返す名目で来航し、通商を求めました。
  • フェートン号事件…1808年、イギリス軍艦フェートン号がオランダ船を追って長崎港に侵入し、オランダ商館員をとらえる事件が起きました。異国船打払令を出すきっかけとなりました。
  • 異国船打払令…1825年、幕府は沿岸に近づく外国船を直ちに撃退 することを命じた異国船打払令を出しました。
  • モリソン号事件…1837年、漂流民を送り届けようと浦賀に来航したアメリカ商船モリソン号を砲撃する事件が起きました。

蛮社の獄

渡辺華山(1793~1841)や高野長英(1804~50)などの蘭学者が外国船を打ち払った幕府を批判する書物を書き、処罰されました。

天保のききん

1833年から39年にかけて、天保のききんと呼ばれるききんが続き、百姓一揆や打ちこわしがひんぱんに起こりました。

まとめ

通商を求めて日本に接近する欧米諸国の船が増えた。しかし、幕府は外国からの接触を拒絶し鎖国政策を続けた。

  • 外国船の接近…19世紀になるとロシア・イギリス・アメリカの船が日本に近づくようになった。
  • 異国船打払令…1825年沿岸防護と外国船追放が目的。外国船の打ち払いを批判した学者は厳しく処罰された。

確認中学歴史「天保の飢饉と大塩平八郎の乱」

スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

スポンサーリンク
トップへ戻る