中学歴史「鎌倉時代の武士のくらしと農民のくらし」

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中学歴史「鎌倉時代の武士のくらしと農民のくらし」です。 鎌倉時代の武士は「いざ鎌倉」にそなえて武芸をみがきました。

鎌倉武士のくらし

鎌倉時代の武士は、ふだんは先祖伝来の領地で農業を営み、田畑を配下の農民に耕作させ、自らは地頭や荘園の管理者として年貢の取り立てを請け負っていた。また、領地内の微高地に板ぶきの簡素で実用的な館を建て、物見やぐらを設け、周囲に堀や土塁・塀などをめぐらして,敵からの攻撃にそなえた。

武士の社会では、一族の長を惣領といい、一族は固い団結でまとまっていた。財産は分割相続で、鎌倉時代の前半までは女性にも相続権が認められ、妻は自分の財産を夫の許可なしに処分できた。女性が地頭になることもあった。

武士はいざ鎌倉(合戦)にそなえて、日ごろから笠懸・流鏑馬などを行って、武芸をみがいていた。また、「弓馬の道」などとよばれる武勇・忠孝・礼儀を尊び、名誉を重んじ、卑劣な行いを恥とする心がまえを育てていった。

農民のくらし

農業生産は向上し,農民は不当な支配に抵抗するようになった。 鎌倉時代にはかんがい設備が整い、用水池もさかんにつくられ、水車も利用されるようになった。すき・くわなど の鉄製農具や牛馬耕が広まったことから、開墾も進んだ。また、稲の品種改良や草木灰が肥料として使われて生産 量が増え, 近畿地方を中心に水田の裏作に麦をつくる二毛作も始まった。しかし、農民は、荘園領主・地頭の両方から年貢や労役を負わされ、二重の負担に苦しんだ。 こうしたなかで、地頭の横暴を荘園領主に訴えたり、 団で逃亡するなど、農民が抵抗するようになった。

まとめ

つねに馬や弓矢の武芸によって心身をきたえる。→「弓馬の道」「武士の道」と呼ばれ、名誉を重んじ、恥をきらう態度や心構えが育ちました。

  • 武士の家…一族の長である惣領(そうりょう)が中心となって子や兄弟などをまとめます。領地は分割相続で女子にもあたえられます。女性の地頭も多くいました。
  • 武士のための法律…1232年に北条泰時が御成敗式目を制定しています。執権政治を進めるための法律で、武士の慣習にも基づいて定められました。朝廷の律令とは別に独自に制定しました。長く武士の法律の手本となりました。
  • 農業の発達…農作物の収穫が増加しました。耕作に牛馬を利用しました。鉄製の農具がいっそう普及します。草や木を焼いた灰を肥料に使います。米の裏作に麦をつくる二毛作が行われます。
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以上が、中学歴史「鎌倉時代の武士のくらしと農民のくらし」となります。

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