中学歴史「昭和恐慌」

シェアする

スポンサーリンク

中学歴史「昭和恐慌」についてまとめています。金融恐慌や世界恐慌で、日本経済は大打撃を受け日本経済は、ゆきづまっていきます。そのあたりについて、詳しく記述しています。それでは、 中学歴史「昭和恐慌」です。

昭和恐慌

1927年3月大蔵大臣の「東京渡辺銀行破綻した」という失言で、おおぜいの人が預金を引き出そうとして各銀行におしよせた(銀行の取付け騒ぎ)。また、台湾銀行の経営悪化が明るみに出て金融界が混乱し、銀行の休業や企業の 倒産があいついだ(金融恐慌という)。生糸の最大の輸出先であったアメリカ合衆国から世界恐慌が波及する、日本では多くの中小企業が倒産した。大企業も労働者の人員削減をしたために失業者が急増し、労働争議が増加した。
確認中学歴史「世界恐慌から日中戦争まで」

スポンサーリンク

農村の状況

農村では、生糸や米などの農産物が売れなくなって価格が暴落したため、深刻な不景気にみまわれ、小作争議が増加した。そのうえ、東北・北海道地方では冷害による大凶作で、「娘の身売り」「欠食児童」などが社会問題となった。このような昭和恐慌で日本経済は大打撃を受け 、企業は賃金を引き下げたり、労働時間を延長したりして、生産の合理化を進め、低賃金で生産した安い商品で輸出の増加をはかった。しかし、「ダンピング(投げ売り)だ」と外国から批判を受けた。こうしたなかで、三井・三菱・住友・安田などの財閥(大資本家)は倒産寸前の会社や銀行を合併して産業界の支配を強め、利益を独占していった。やがて財閥は、政党に資金を出して深く結びつき、政治に大きな影響をあたえるようになった。

まとめ

昭和恐慌により都市の失業者が農村に戻ると、農家の生活困難は深刻化した。昭和恐慌の前後の時期、地租改正によって地租が定額・金納化されていたため、恐慌によっても地租は下がらず、農家の窮乏化はいっそう進んだ。昭和恐慌の原因は、世界恐慌の影響と金解禁による不況の2つが重なったことによる。昭和恐慌の後には、日本は柳条湖事件を発端として、中国への侵略を拡大していった。世界恐慌からの回復期には、日本における低賃金・長時間労働に対してイギリスから非難が寄せられた。

  • 社会…農産物の価格の下落や基金などで国民生活が苦しくなる。労働争議・小作争議が激しくなった。
  • 政党政治の行き詰まり…1930年ロンドン海軍軍縮会議が開かれ、イギリス・アメリカと共に軍縮条約を結ぶ。天皇の権限の侵害があるとされ、浜口雄幸首相が右翼の青年をおそわれ、退陣する。日本では経済でも政治でも行き詰まった状態になる。

あわせて確認

スポンサーリンク

シェアする

スポンサーリンク