中学歴史「日本の南進政策」

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中学歴史「日本の南進政策」についてまとめています。

大政翼賛会の成立

ドイツが、ヨーロッパ各地を占領していった1940年、日本の軍部や官僚・政治家の間では、ナチス=ドイツにならった一国一党の強力な政治体制をめざす動きが活発化した。近衛文麿がこの新体制運 動の中心になると、政党や各団体は解散し、大政翼賛会がつくられ、議会は形だけのものとなった。

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ファシズムの確立

大政翼賛会は、その後、部落会・町内会・隣組を下部組織とし、大日本産業報国会や大日本婦人会などをその傘下におさめて、 国民を一元的に統制する団体となった。こうして日本のファシズム体制が確立した。

南進政策

  • ノモンハン事件…1939年(昭和14) 5月、日本軍は、満州とモンゴルの国境でソ連・モンゴル両軍と戦闘をはじめたが、決定的敗北に終わった。

北部仏印進駐

1939年に始まったヨーロッパの第二次世界大戦におけるドイツの勝利は、ドイツ・イタリアと結んで南方に進出しようという日本の気運を 高めた。1940(昭和15)年、第2次近衛文麿内閣は、フ ランス領インドシナ(仏印)の北部へ進駐し、アメリカ・イギリスと対抗するためにドイツ・イタリアと日独伊三国同盟を結んだ。結果、日米関係は悪化した。

  • イタリア…ドイツが優勢と見るとドイツ側で参戦。1940年日独伊三国同盟を結び、関係を強化する。
  • アメリカ…1941年アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相が大西洋憲章発表。ファシズムとの対決姿勢を明らかにする。
  • その他の国々…ドイツの過去の占領政策に対してレジスタンスト言われる抵抗運動を行った。

南部仏印進駐

1941(昭和16)年4月、日本は北方の安全確保のために日ソ中立条約を結んだが、ヨーロッパの戦争の行方をみて,北進と南進の両面を考えた。しかし、北進は断念され、7月にフランス領インドシナ(仏印)の南部に進駐し、南進が決定的になった。

このころの復習

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