【中学歴史】絶対王政・ウィーン体制

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【中学歴史】絶対王政・ウィーン体制です。

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ヨーロッパの絶対王政

十字軍の遠征や百年戦争などで教会・諸侯・騎士の勢力が弱まるなかで、国王が力を強め、国内統一を望む大商人と結んで中央集権国家をつくりあげた。

絶対王政
国が絶対的な権力を握って行う国王の専制政治。国王は、自らの権威を高めるために、国王の権力は神から授かった絶対的なものだとする「王権神授説」を唱え、絶対王政の精神的な支えとした。

16~18世紀のヨーロッパ

16~18世紀のヨーロッパでは、国王が常備軍をもって教会や諸侯をおさえ、役人の制度を整え、地方には中央から役人を派遣するなどして支配を強めていった。重商主義政策を行って産業を保護し、輸出を奨励して財源を確保した。

重商主義政策
絶対王政時代のヨーロッパ諸国で支配的になった経済政策。自国の産業を育てるための国家的な保護政策で、輸出を奨励し、輸入品には関税をかけておさえ、国を富ませようとした。
  • イギリス…16世紀後半のエリザベス1世のときに絶対王政が全盛となり、イギリス国教会を確立し、スペインの 無敵艦隊を破って海外に発展していった。
  • フランス…17世紀後半の太陽王ルイ14世のときに絶対王政が確立し、ベルサイユ宮殿を中心に宮廷文化が栄え、ヨーロッパ文化の中心となった。
  • ドイツ…18世紀半ばに, 北東部のプロイセン王国にフリードリヒ2世が現れて、プロイセンをヨーロッパ列強の一つにし、絶対王政を確立した。
  • ロシア…17世紀後半にピョートル1世が現れて絶対王政を確立し、18世紀の後半に、エカチェリーナ2世がロシアをヨーロッパの大国に発展させた。

ウィーン体制

19世紀前半、ウィーン会議によって正統主義による保守的な 国際秩序が生まれた。しかし、自由主義とナショナリズムの運動を抑えきることはできず、ウィーン体制はやがて崩壊。19世紀後半、ヨーロッパは好況期を迎え、世紀末にかけて各国で大衆の政治参加が進んだ。

  • 19世紀のイギリス…万国博覧会の開催。二大政党政治や教育制度の充実。世界各地に外交官を派遣し、自由主義を広めました。
  • 19世紀のドイツ…鉄血宰相と呼ばれるビスマルクの下で富国強兵。帝国として統一。重化学工業や医学が発達。

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