【中学歴史】ペリーの来航・日米和親条約・開国

【中学歴史】ペリーの来航・日米和親条約・開国についてまとめています。

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ペリーの来航

中国進出に乗り出したアメリカは、太平洋横別 航路の中継地とするために、日本に開国を求めました。1853年、東インド艦隊司令長官のペリー(1794~1858) が来航し、開国を求めました。

  • 来航…4隻の軍艦を率いたペリーは、琉球などに寄港したのち、浦賀(神奈川県)に来航しました。
  • 国書…ペリーは、日本の開国を求めるアメリカ大統領の国書を幕府に差し出しました。

日本の対応

  • 黒船…人々はペリーの軍艦を「黒船」と呼んでおどろき、おそれました。
  • 幕府の対応…幕府は朝廷に報告し、大名の意見を求めました。これは、国論を統一することが幕府の目的でしたが、結果的には朝廷の権威を高め、有力大名の発言力が強まることとなりました。

日米和親条約

日米和親条約開港場所
1854年、幕府はふたたび来日したペリーと日米和親条約を結びました。 開港・下田(静岡県)、函館(北海道)の2港を開き、食料・水・石炭などを供給することを認めました。

  • 諸外国との条約…イギリス・ロシア・オランダとも同じような条約を結びました。

開国の影響

  • 外国貿易の開始…最大の貿易港は横浜。日米通商条約によって開始された貿易では、外国から毛織物、綿織物、武器、艦船などを輸入です。外国へは、生糸、茶などを輸出。
  • 貿易相手国…イギリスが中心で、アメリカ1861年に起こった南北戦争の影響で。アジアの進出がしばらく止まっていました。
国内への影響

  • 金銀の交換比率のちがいから大量の金貨が流出。小判を小さくするため貨幣改鋳を行い、物価の上昇を招きました。
  • 輸出のため生糸が貿易商人に買い占められ、値上がりました。生糸の生産が盛んになりました。
  • 安価で良質な綿織物や綿糸が輸入されました。国内の生産地に打撃を与えましたが、輸入綿糸で絹織物を作り、これに対抗。

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