中学歴史「日清戦争と日露戦争」についてまとめています。日清戦争と日露戦争に関して、条約の内容、三国干渉、きっかけ、戦後などにもふれています。それでは、中学歴史「日清戦争と日露戦争」です。
欧米列強の侵略と条約改正
列強と帝国主義が盛んになり、欧米で資本主義が急速に発展。資本家が経済を支配。列強は、イギリス・ドイツ・アメリカ・フランス・ロシアであり、帝国主義をとり、列強の国々は、資源た市場を求めてアジアやアフリカに進出。軍事力によって植民地化。
条約改正の実現までの過程
- ノルマントン号事件…イギリス船が沈没し、日本人乗客が全員水死。イギリス領事裁判所は船長に軽い罰を与えただけだったので、不平等条約改正を求める世論が高まる。
- 条約改正…最初の応じたのは、アメリカで、1878年に関税自主権の回復に合意。しかしながら、イギリスなどの反対にあい実現せず。
- 鹿鳴館で舞踏会など開くなどの欧化政策。外国人判事を採用しますが、国内で反対を受けて失敗。
- 大日本帝国憲法の制定で、イギリスの交渉も応じる。
- 1894年外務大臣外相の陸奥宗光は、イギリスと領事裁判権を撤廃した日英通商航海条約を結ぶ。ほかの諸国とも改正が実現。1911年小村寿太郎外相が関税自主権の完全の回復に成功。
東アジアの情勢
- 朝鮮…日本と清が勢力を繰り広げ、朝鮮国内で親日派と親中派が対立。
- 甲申政変…親日はが日本と結んで実権握ろうとしますが、清に敗れる。
- 清に対抗するため日本は軍事の増強を図り、朝鮮への進出を首長。
日清戦争の流れ
- 甲午農民戦争…東学(民間信仰をもとにした朝鮮の宗教)を信仰する人々を中心とする農民が朝鮮戦闘南部一体で蜂起。政治改革や外国人の排除を目指しました。
- 朝鮮の政府が清に出兵を求めたことをきっかけに日本も出兵。日清戦争が始まり日本が勝利する。
下関条約
日清戦争の講和条約
- 清は、朝鮮の独立を認め、遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に譲り渡す。
- 2億両(テール:当時の約3.1億円)の賠償金を日本に支払います。
台湾を統治した日本は、台湾総督府を設置して。植民地化を進める。
加速する中国戦略
- 朝鮮…大韓帝国(韓国)と改め、清から独立を宣言。
- 中国分割…列強は競って、清に進出。
三国干渉と日清戦争後の日本
三国干渉
三国干渉は、ロシアがドイツ、フランスと共に、日本に遼東半島の清への返還を勧告し、日本はこれを受けいれて返還。ロシアは、日本が返還した地域の旅順と大連を租借して、根拠地としました、
日清戦争後の日本
清から得た賠償金で、軍事の拡張と工業化を進める。日本の重化学工業張の発展の基礎を気づいた官営の八幡製鉄所も、建設された。伊藤博文は、政治を安定させるため、1900年に立憲政友会を結成。以後、政党の中心となる。
日露戦争
義和団事件は、清で義和団を中心として外国の勢力排除しようとする事件。日本などの連合国が鎮圧しました。事件後。ロシア満州を占領後、韓国への進出。日本とイギリスは、日英同盟を結んでロシアに対抗。
日本国内に主戦論が高まりますが、幸徳秋水(社会主義者)や内村鑑三(キリスト教徒)などは反戦論を唱えました、また、与謝野晶子は、歌人の立場で主戦論に疑問を投げかけ、「君死にたまふことなかれ」という詩を発表しました。
日露戦争は、日本は苦戦しますが日本海海戦などで勝利。戦力が限界に達し、ロシアも国内で革命が起こり、両国とも戦争の継続が困難になりました、
ポーツマス条約
アメリカの仲介により講和条約を結ぶ。
ロシア日本に対し
- 韓国での日本の優先権を認める。
- 旅順、大連の租借権と長春以南の鉄道の利権を譲り渡す。
- 北緯50度以南の樺太(サハリン)に割譲する。
- 沿海州、カムチャッカ半島沿岸の日本の漁業権を認める。
賠償金が得られず、日本の得た権限が少なかったため、国民は政府を攻撃します。東京で暴動を伴う民主の運動である日比谷焼き討ち事件が発生します、戦争のための重税、軍備の拡張で国民の負担が重くなりました、
日露戦争後の日本
日本は、列強都市の国際的な地位を固めます。アジア諸国に対する優越感が強まりました、アジア諸国は、近代化や民族独立の動きが高まり、中国では、革命運動が活発化しました。
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