中学歴史「沖縄復帰と高度経済成長」

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中学歴史「沖縄復帰と高度経済成長」についてまとめています。沖縄復帰と高度経済成長に関して、アジアの発展、日本の外交、昭和の文化、公害などにもふれています。それでは、中学歴史「沖縄復帰と高度経済成長」です。

緊張緩和

  • アジア・アフリカ(バンドン)会議…アジアとアフリカの29カ国が参加しているインドネシアのバンドンで開催。平和共存・民族独立をうったえました。
  • ベトナム戦争…中ソの支援を受ける北ベトナムと南ベトナム解放民族戦線が南北に分かれ戦う。アメリカの介入で戦争が激化。1973年にアメリカが撤退し、1975年北ベトナムが勝利し、翌年に統一されました。
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ヨーロッパ諸国

  • キューバ危機…キューバで革命が起こり、親米政権が倒れる。それがきっかけで、ソ連がキューバで核ミサイルを基地を建設。アメリカが海上を封鎖し、緊張が高まりました。ソ連がミサイルを撤去して核戦争が起きる寸前で収拾される。
  • ヨーロッパ共同体(EC)…西ヨーロッパ諸国の経済統合

日本の外交と沖縄復帰

広がる日本の外交関係

  • サンフランシスコ平和条約で西側陣営の一員として独立を回復した日本は、東側陣営やアジア諸国との関係を築きました。
  • 国際社会への復帰…鳩山一郎内閣によって日ソ共同宣言が調印され、ソ連と国交回復。ソ連の指示を受けて国際連合加盟が実現しました。
  • 韓国…日韓基本条約を結び、韓国政府を朝鮮半島唯一の政府として承認。
  • 中国…田中角栄内閣が日中共同声明により国交を回復。1978年には日中平和友好条約を結ぶ。

沖縄の日本復帰

佐藤栄作内閣が、アメリカとの交渉進め、1972年に沖縄が日本に復帰。

  • 非核三原則…核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」を国の方針とする。沖縄には、復帰後も多くのアメリカ基地が残されました。これにより、事故、公害、犯罪など多くの問題が起きています。

高度経済成長

1950年代半ばまでには、日本の経済は戦前の水準までに回復。1955年から73年までは、年平均で10%程度の成長を遂げたのが高度経済成長です。

  • 所得倍増計画…池田勇人内閣がスローガンに掲げ、経済成長を積極的に推進しました。
  • 技術革新…鉄鋼や造船などの重化学工業が生産の主軸に。エネルギー源が石炭から石油になりました。太平洋沿岸に製鉄所や石油コンビナートが建設されました。
  • 国民総生産(GNP)…1968年に資本主義国ではアメリカに次ぎ、第2位となる。

国民生活の変化

  1. テレビ、洗濯機、冷蔵庫など家庭電化製品や自動車が普及し、スーパーマーケット広がる。
  2. 1964年にアジアで最初の東京オリンピックが開かれる。これに合わせて、東海道新幹線や高速道路が開通する。
  3. 国民の多くが中流意識を持つ。テレビなどマスメディアが発達。高校・大学への進学率も上昇。
  4. 社会問題…農村では、人口が著しく減少し、社会生活を維持することが困難になる過疎化が進む。都市では、人口や産業が集中しすぎる過密が進み、交通渋滞や住宅不足、ゴミ処理問題などが起きる。

公害問題

大気汚染、水質汚濁など公害問題が深刻化する。新潟水俣病(新潟県)、四日市ぜんそく(三重県)、イタイイタイ病(富山県)、水俣病(熊本県)の四大公害裁判で住民側が勝訴。政府の対応として、1967年に公害対策基本法を制定し、1971年には環境庁を設置する。

経済大国

  • 石油危機(オイル・ショック)…第4次中東戦争をきっかけに石油価格が上昇し、先進工業国の経済が不況に、日本でも高度経済成長が終わる。石油危機後の日本の経済は経営の合理化や省エネルギー化を進め一早く布教を乗り切る。

鉄鋼・造船にかわって、自動車や電気機械の輸出が伸びました。

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