中学歴史「朱印船貿易」

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中学歴史「朱印船貿易」のまとめです。朱印船貿易は、九州の大名や大商人が、さかんに朱印船貿易を行っていました。その朱印船貿易について掘り下げていきます。それでは、中学歴史「朱印船貿易」です。

朱印船貿易

朱印船とは、将軍の海外渡航の許可証である朱印状をおって、東南アジアなどにおもむいた貿易船であす。朱印船は、江戸時代の初めに、家康の奨励で活発に派遣されました。朱印船を仕立てて貿易を行ったのは、島津・鍋島・有馬氏などの九州の大名や、大阪の末吉孫左衛門・京都の角倉了以・長崎の末次平蔵らの大商人です。

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輸出・輸出品

これらの諸大名や大商人らは、ルソン(フィリピン)・安南(ベトナム)・カンボジア・シャム(タイ)など東南アジアの各地に朱印船を派遣し、日本から銀・銅・ 硫業・雑貨などを輸出し、生糸・絹織物・砂糖などを輸入しました。とくに銀の輸出額は、当時の世界の銀 産出額の約3分の1にもおよびました。

日本町

朱印船貿易がさかんになるにつれて、東南アジアの各地に移住する者が増え、日本町が誕生しました。移住者の中には、 全人(浪人)や自由の天地を求めるキリシタンもふくまれていました。最盛期には、日本町には合わせて7000人くらいが居住していたといわれ、その多くが自治制をとり、治外法権も認められていました。日本町の頭領としてはアユタヤ(当時はシャムの首都)の山田長政が有名で、シャム国王の信任を得て、リゴールの太守(地方長官)にまでなりました。しかし、その後、日本町の多くは、鎖国によっておとろえていった。

まとめ

朱印船貿易は、家康が日本船の渡航を許す朱印状を発行し、東南アジアの各地に朱印船の保護を依頼。多くの日本人の海外に移住、東南アジア各地に日本町ができました。オランダやイギリスとも貿易。中国船の生糸や絹織物、染料、象牙などを輸入。金・銀を中心に、刀や工芸品などを輸出。

あわせて確認

以上が、中学歴史「朱印船貿易」となります。

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