中学歴史「国際連盟の設立と軍縮会議」

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中学歴史「国際連盟の設立と軍縮会議」についてまとめています。1920年に世界初の国際平和機構である国際連盟が設立されます。その後、国際協調の動きが高まり、ワシントン, ロンドンで軍縮会議が開かれます。そのあたりについて、詳しく記述しています。それでは、中学歴史「国際連盟の設立と軍縮会議」です。

国際連盟の設立

ウィルソン大統領が14か条の一つとして提案した国際連盟が、1920年に設立された。これは、国際平和の確立と維持をはかるための世界最初の国際平和機構だった。国際連盟の本部はジュネーブ(スイス)におかれ, 総会・ 理事会・事務局や国際労働機関・常設国際司法裁判所が設 置された。理事会では日本・イギリス・フランス・イタリアが常任理事国となり、新渡戸稲造が事務局次長に就任するなど、日本は国際的な地位を高めていった。

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国際連盟の実態

提案国のアメリカ合衆国は、議会の反対で国際連盟に加 明できず、ドイツやソ連も初めは加盟を認められなかった。国際連盟の総会での議決方法は全会一致制だったために、議事がはかどらないことが多かった。また、国際連盟には、現在の国連軍のような侵略国などに対して武力制裁を加 えるための軍事力がなく、注意をうながすか、経済制裁を行うことしかできず、国際紛争の解決が困難だった。

軍縮会議の開催

大戦後、列強は再び軍備拡張に力を入れるようになった。そこでアメリカ合衆国は、1921~22年、イギリス・フランス・日本・中国などによびかけて,主要9か国によるワシントン会議を開いた。アメリカの目的は,東アジアでの日本の勢力拡張をおさえるとともに、日本やイギリスとの戦艦建造競争を止めることにあった。

ワシントン会議

ワシントン会議では、1921年に四か国条約、1922年に海軍軍縮条約・九か国条約が結ばれた。

四か国条約

四か国条約は、アメリカ・イギリス・フランス・日本の 間で結ばれた。太平洋の島々での各国の権利をたがいに尊重する内容で、日英同盟は廃止された。

海軍軍縮条約

海軍軍縮条約では、アメリカ・イギリス・フランス・日本・イタリアの間で、主力艦の保有量を制限した。

九か国条約

九か国条約では、会議に参加した9か国が中国の主権を尊重し、中国での各国の経済活動の機会均等と門戸開放を約束した。日本は、この条約にもとづいて中国と直接交渉して、大戦直後にドイツから受けついだ山東省の権益を返還した。

不戦条約

1928年にはパリで不戦条約が結ばれ、国際紛争の解決に武力は使わないことを定めたが、違反国に対する制裁規定がなく、効果は疑問であった。

ロンドン軍縮会議

1930年に開かれたロンドン軍縮会議では、アメリカ・イギリス・日本の3国間で補助艦の保有量が制限された。日本国内ではこのとき、海軍や野党(立憲政友会)を中心に政府の国際協調の方針に不満が高まり、浜口雄幸首相が襲撃されて重傷を負い、のちに死亡する事件がおこった。

まとめ

国際連盟は、アメリカのウィルソン大統領の提案で1920年に設置された。世界平和のための国際機関。本部は、スイスのジュネーブ。

  • 民族自決…ウィルソンが唱えた各民族が自分たちの政治的なことは自分で決めるという考え方。
  • 常任理事国…イギリス、フランス、イタリア、日本。
  • 参加国…42カ国。アメリカは国内の反対で不参加。
  • 国際連盟が誕生したがアメリカの不参加やヨーロッパ以外の民族自決は考慮されないなど問題が多かった。しかしながら国際協調に向けた動きが活発になりました。

あわせて確認

以上が、中学歴史「国際連盟の設立と軍縮会議」となります。

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