中学歴史「サンフランシスコ講和会議」

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中学歴史「サンフランシスコ講和会議」についてまとめています。

サンフランシスコ講和会議

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平和条約の調印

朝鮮戦争がおこると、アメリカは日本と講和して、社会主義陣営に対抗する体制を強めようとした。1951(昭和26)年9月、アメリカのサン ブランシスコで対日講和会議が開かれ、日本は首相の吉田茂を首席全権として連合国の48か国とサンフランシスコ平和条約を調印し、独立を回復した。 日本は朝鮮の独立を承認し、台湾や千島列島などを放棄し、沖縄・小笠原諸島のアメリカ統治を認めた。

  • 朝鮮戦争…北緯38度線に境に、北に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が南に大韓民国(韓国)が成立。北朝鮮が韓国に侵攻し朝鮮戦争が始まりました。アメリカ中心の国連軍が韓国に、中国の義勇軍が北朝鮮を支援して戦争が長期化しました。1953年に休戦。
  • サンフランシスコ平和条約…西側陣営の一員として独立を回復した日本は、東側陣営やアジア諸国との関係を築きました。

日米安全保障条約

平和条約調印と同日、日本は アメリカと日米安全保障条約(安保条約)を, 1952年には日米行政協定を結んだ。これらにより、日本はアメリカを中心とする資本主義陣営の一員となり、アメリカ軍が引き続き日本に駐留することとなった。

国際連合への加盟

中国・インド・ビルマとの講和においては、日本は、講和会議に招かれなかった中国について、アメリカの意向で、台湾の国民政府と日華平和条約を1952(昭和27)年に結んだ。そのため、中華人民共和国との国交は成立しなかった。また、講和会議を欠席したインド・ビルマ(いまのミャンマー)とは、個別に平和条約を結んだ。

ソ連とのあいだでは、北方領土問題で意見が対立したために平和条約は結ばなかったが、1956(昭和31)年に日ソ共同宣言を調印して国交が回復した。これにより、同年日本の国際連合への加盟が認められ、国際社会への復帰が実現した。

  • 日ソ共同宣言…1956年ソ連との国交回復する。ソ連の支持も受け、国連の加盟が実現する。
  • 日韓基本条約…韓国を朝鮮半島唯一の政府と承認する。
  • 日中共同声明…1972年中国との国交が正常化。1978年日中平和友好条約を提供して環境深めた。
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