中学歴史「院政と執権政治(鎌倉幕府の成立)」

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中学歴史「院政と執権政治(鎌倉幕府の成立)」についてまとめています。院政と執権政治に関して、武士の登場、台頭、院政、鎌倉幕府の始まり、執権政治などにふれています。それでは、中学歴史「院政と執権政治(鎌倉幕府の成立)」です。

武士の登場

地方の豪族と中央の武官が交流し、武士がおこり、武士団を形成しました。

  • 地方…豪族が私有地を広げ、警備に武力を発揮して勢力のばしました。
  • 都…朝廷の武官が貴族の警備を行い、実力を認められます。
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武士団の反乱

  • 平将門…関東で、反乱を起こしました。(935年)
  • 藤原純友…瀬戸内海地方で、反乱をおこします。(939年)
  • 朝廷…反乱をおさえるために、武士団を使いました。

武士の成長と荘園

天皇の子孫である、2つの武士団がしだいに台頭。

  • 源氏…東北地方の大きな戦乱(前九年合戦、後三年の役)をしずめた源義家が東日本で勢力を広げます。
  • 平氏…西日本に勢力が伸ばします。

武士は領地を中央の貴族や寺院に寄進して荘園としました。寄進先の貴族や寺院の保護を受けます。武士も成長し、国司も荘園以外の土地を支配しました。やがて公領も武士の勢力下となりました。

院政

白河天皇が位をゆずって上皇になった後も政治を行います。天皇が位をゆずって上皇になった後も政治を行うことを院政といいます。荘園に対し、税の免除によって、荘園が上皇のもとに集まりました。

  • 寺社…上皇に保護され、多くの荘園を持ちました。僧兵(そうへい)を抱えて勢力を広げました。

2つの内乱と平清盛

保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)が起こりました。平治の乱(1159年)で平清盛が源義朝を破り、勢力を広げていきました。

武家政権の成立

平清盛が政治の実権をにぎり、太政大臣になりました。一族も高い地位につき、多くの荘園を手に入れました。また、兵庫(神戸市)の港を整備、航路を整え、宋(中国)と貿易しました。平氏が朝廷の政治を思うままに動かしました。しかし、これには、貴族や寺社、地方の武士は反感をもちます。

源頼朝の挙兵

鎌倉(神奈川県)を本拠地にし、関東地方を支配します。弟の源義経に平氏を攻めさせます。壇ノ浦(山口県)で源氏が平氏を滅ぼしました。

鎌倉幕府

源頼朝と源義経が対立しています。源義経は、奥州の藤原氏のもとにのがれました。

  • 1185年…国ごとに守護、荘園や公領ごとに地頭を置きました。
  • 1192年…源頼朝が征夷大将軍に命じられました。

将軍と御家人とは、領地をなかだちにして御恩と奉公の主従関係で結ばれてました。(封建社会)

執権政治

源頼朝の死後、争いがおこり、北条時政(頼朝の妻で北条政子の父)に実権が移ります。以後、北条氏が執権の職につき、地位を独占するようになります。(執権政治)

承久の乱

朝廷の勢力回復を図る後鳥羽上皇は、1221年、幕府をたおすために兵をあげます。北条政子のうったえで、幕府は朝廷を軍を破ります。承久の乱ののち、京都に六波羅探題を設置して朝廷を監視。これにより幕府の支配力が西日本にまで及びました。

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