中学歴史「殖産興業」

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中学歴史「殖産興業」となります。政府は、官営工場を設立して近代工業を育成した。また、円を単位とする貨幣制度や、国立銀行条例が出された。

殖産興業

殖産興業とは、明治新政府が欧米諸国の進んだ経済制 度・設備・機械・技術などを取り入れて、近代産業の保護・育成をはかった政策である。新政府の成立当初は、まだ工場制手工業(マニュファクチュア)の段階で, 民間には大規模な近代工業をおこす力がなかった。

  • 工場制手工業(マニュファクチュア)…一部の問屋商人や大地主は、労働者を作業場に集め、道具を使って分業と協業で生産するしくみをつくりだした。
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官営工場

政府は欧米の先進国に追いつこうとして、外国から機械を買い入れ、外国人技術者を招き、重要鉱山を直接経営するとともに、官営の製糸・紡績工場や軍事工場などの官営工場を設立して、近代工業の育成をはかった。1872年に開設された富岡製糸場(群馬県)はフランス人技師の指導のもとで、士族(旧武士)の子女を集め て大規模な生糸の生産を行った。ここで技術を習 得した工女(女子労働者)たちは、各地につくられた民間の製糸工場で技術を指導する役割をはたした。
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政府は1877年8月~11月に、上野公園(東京都台東区)内で第1回内国勧業博覧会を開き、新しい技術の紹介や普及をはかり、民間の産業の発達に大きな刺激をあたえた。

貨幣制度や金融機関の整備

江戸時代の藩札や明治の初めに発行された太政官札などが流通し、通貨は混乱していた。そこで政府は、1871年、円・銭・厘の10進法による新しい貨幣制度をつくった。また、1872年には、殖産興業をおし進める資金を得ることや、不換(金・銀などの正貨と交換できない)紙幣の整理を目的に金融制度整備し、渋沢栄一らの意見を取り入れて 行銀行条例を定めた。これにもとづいて、第一国立銀行をはじめとする民間経営の国立銀行がつくられた。これらの国立銀行は、1882年に日本銀行が開業して銀行券の発行 業務をまかされると、1899年までに普通銀行となった。

通信

1871年に郵便制度がつくられ、1872年には鉄道が開通した。政府は通信機関の整備をはかり、1869年、東京・横浜間に最初の電信を開通させた。1871年には長崎と上海(中国)の間に海底電線が開通し、海外との電信も可能になった。こうして、1880年代初めまでに全国の電信網がほぼ完成 し,1849年には東京・横浜間で電話交換の業務も始まった。

交通

1871年には前島密の努力で、これまでの飛脚がに代わってつくられた。郵便はまず、東京・京都・大阪で始められたが、1873年には全国均一料金で手紙・はがきが出せるようになり、全国の主要な郵便網がほぼ完成した。1877年には、万国郵便連合に加盟した。

いっぽう、交通の面でも整備がはかられ、1872年 新橋 (東京都)・横浜間に初めて鉄道が開通し、1874年に大阪・神戸間、1877年に大阪・京都間が開通した。1889年には東海道線(東京・神戸間, 全長約590km)が全通した。海運業の発達もめざましく、沿岸航路で汽船の運航が行 われるようになり、物資の輸送が活発になった。

まとめ

殖産興業は、近代的な産業を育てる政策。鉄道の開通や蒸気船の運行などの交通の整備。郵便制度や電子網の整備・富岡製糸場などの官営模範工場の建設。万国博覧会の参加(ジャポニズム)。

あわせて確認

以上が、中学歴史「殖産興業」となります。

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