【中学歴史】大化の改新・改新の詔についてまとめています。
大化の改新
天皇 | 要点 | 年号 | 出来事 |
---|---|---|---|
皇極 | 蘇我蝦夷・入鹿の父子の君臨 | 643 | 入鹿が聖徳太子の子を自殺させる |
645 | 乙巳の変…中大兄皇子、中臣鎌足らが入鹿を暗殺・蝦夷は自殺 | ||
孝徳 | 大化改新 | 646 | 改新の詔 |
聖徳太子の死後、独裁的な政治をしていた蘇我蝦夷・入鹿の親子を中大兄皇子や中臣鎌足(のちの藤原鎌足)らが倒して、新しい政治の仕組みをつくる改革を始めました。 朝廷の組織を整え、権力の集中を目指しました。日本で初めて「大化」という年号が使われました。
- 難波宮…都を難波(大阪府)に移しました。
- 公地・公民…それまで豪族が支配した土地を人々を国家が直接支配します。
改新の詔
- 公地公民…食封・布帛の支給
- 地方行政区画の設定
- 戸籍・計帳をつくり、班田収受法をおこなう
- 統一的な税制の確率
中央集権的な交通・軍事制度などが確立していきます。
中国・朝鮮半島の動き
- 中国…7世紀の初め、隋が滅びるが統一。律令などの法律を作り、戸籍に登録した人々に土地を与え、税や兵役を負担させました。都の長安が栄、大帝国をつくり上げました。
- 朝鮮半島…唐と結んだ新羅が百済・高句麗を滅ぼします。日本は百済を助けるために軍送りましたが、白村江の戦いに敗れます。新羅が朝鮮半島を統一します。
政治の進展
白村江の戦いで敗れました。その結果、西日本の各地に山城を築き、唐・新羅からの攻撃に備えます。中大兄皇子は、大津宮(滋賀県)に都を移し、即位して天智天皇となりました。初めて全国の戸籍を作るなど、政治改革を進めました。
- 壬申の乱…天智天皇の没後の跡継ぎ争い。大友王子との戦いに勝って、天武天皇が即位。
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