【中学歴史】田沼意次の政治

【中学歴史】田沼意次の政治についてまとめています。

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田沼意次の政治の概要

18世紀後半、第10代将軍徳川家治(1737年~1786年)のもとで老中となった田沼意次(1719年~1788年) は、発展した商工業に注目し、大商人の力を利用して幕府の財政を立て直そうとしました。

  • 商工業の重視…株仲間を奨励し、商工業者に特権をあたえるかわりに税を取りました。
  • 貿易の振興…長崎貿易を活発にしようとしました。銅を専売制にして、主な輸出品にしようとしました。海産物(ほしあわび・ふかのひれなど)の輸出を奨励しました。
  • 蝦夷地…蝦夷地を調査し、開発をこころみました。
  • 開拓事業…町人に出資させて印旛沼(千葉県)を干拓し、新田を増やそうとしました。印旛沼の干拓では、幕府は3回にわたって印旛沼の干拓をこころみましたが、いずれも失敗に終わりました。田沼の干拓事業は2回目にあたります。

田沼意次の失脚

政治の乱れや社会不安の責任を問われました。

  • 政治の乱れ…商工業が活発になった反面、地位や利権を求めてわいろが横行しました。
  • 社会不安…天明のききんによって米価が高騰し、各地で百姓一揆、打ちこわしが起きました。
  • 天明のききん(1782年~1787年)…1782年以後、毎年のように洪水、天候不順がくり返され、浅間山の噴火も加わって大凶作となりました。特に東北地方の被害が大きく、津軽藩(青森県)では20万人が戦死したと伝えられています。
  • 浅間山の噴火…1783年に大噴火し、1000名余りの死者が出ました。大量の火山灰が噴出した影響で天候が不順となり、諸国のききんをひき起こした原因の一つとなりました。

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