【中学歴史】天保の改革

【中学歴史】天保の改革についてまとめています。

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天保の改革の概要

老中水野忠邦が、幕府の力を回復させるために、幕府政治の改革を進めました。

  • 倹約令…ぜいたく品や派手な風俗を取りしまり、政治批判や風紀を乱す小説の出版を禁止しました。
  • 株仲間の解散…水野忠邦は、株仲間が営業を独占しているから物価が上昇するのだと考え、解散を命じました。
  • 人返しの法…江戸への出かせぎを禁止し、江戸にいる農民を帰村させました。
  • 新水給与令…アヘン戦争の結果を知った水野忠邦は異国船打払令を撤回し、寄港した外国船にはまきや水をあたえるよう命じました。
  • 印旛沼(千葉県)の干拓…干拓を再開し、銚子から江戸までの水路を開こうとしました。しかし、水野忠邦の失脚で工事は中止されました。

株仲間

承認や手工業者は、株仲間をという同業組織をつくり、幕府や藩に冥加金・運上金などの営業税を納めさせて保護を受けました。イ価格や供給量を統制して独占的な利益を得ました。具体的には、田沼意次による財政の立て直しのため、株仲間の奨励し、特権を与え、営業税を徴収した。

天保の改革(老中水野忠邦)では、物価の引き下げのために株仲間を解散させます。江戸に出稼ぎに来ている農民を故郷の村に返しました。

アヘン戦争

清の役人が密輸厳禁策を強行して、イギリス商人のアヘンを没収して焼き捨てたため、イギリスは自国の貿易や商人の保護を口実にして、1840年、清に戦争をしかけた。これをアヘン戦争という。

約2年間の戦争で近代的な兵器をもつイギリスは、強力な艦隊を送って広州や上海を占領し、南京にせまって清を降伏させた。

天保の改革の改革の失敗

江戸・大阪周辺を幕領にしようとした政策が、大名・旗本の反対で実施できなかったことで、水野忠邦は失脚しました。

幕府財政を安定させ、江戸の防備を固める目的で上知令を出し、江戸・大阪の周辺を幕領にしようとしました。しかし、対象となった地域に領地を持つ大名や旗本の反対で、政策を実行できませんでした。

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