【中学歴史】緊張緩和・キューバ危機・戦後日本外交

【中学歴史】緊張緩和・戦後日本外交です。

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緊張緩和

第二次世界大戦後、冷戦を経て、アメリカとソ連やアメリカと中国などの関係の急速な改善を機に、ベトナム停戦の実現,東西両欧間の対話ナド、緊張緩和の気運が高まっていきました。1967年にヨーロッパ共同体が成立し、西ヨーロッパ6カ国の統合を目指す組織。

アジア・アフリカ(バンドン)会議

1955年に、アジアとアフリカの29カ国が参加しているインドネシアのバンドンで開催。平和共存・民族独立をうったえました。

ベトナム戦争

中ソの支援を受ける北ベトナムと南ベトナム解放民族戦線が南北に分かれ戦う。アメリカの介入で戦争が激化。1973年にアメリカが撤退し、1975年北ベトナムが勝利し、翌年に統一されました。

キューバ危機

キューバで革命が起こり、親米政権が倒れる。それがきっかけで、ソ連がキューバで核ミサイルを基地を建設。アメリカが海上を封鎖し、緊張が高まりました。ソ連がミサイルを撤去して核戦争が起きる寸前で収拾される。

自民党長期政権と安保条約改定

  • 原水爆禁止運動…アメリカの水爆原爆事件で第五福竜丸が被爆した事件をきっかけにおこります。
  • 自由民主党(自民党)の結成…保守勢力が革新勢力の向きに危機感を抱いて結成。
  • 55年体制…自民党が野党第一党の社会党と対立しながら38年間政権を取り続けました。
  • 安保闘争…軍事関係を強化して新しい安保条約を結ぶ。市民が激しい反対運動を起こす。

沖縄の日本復帰

佐藤栄作内閣が、アメリカとの交渉進め、1972年に沖縄が日本に復帰。

  • 非核三原則…核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」を国の方針とする。沖縄には、復帰後も多くのアメリカ基地が残されました。これにより、事故、公害、犯罪など多くの問題が起きています。

戦後の日本の外交関係

韓国とは、日韓基本条約を結ぶ。中国とは、日中共同声明で国交を回復し、1972年に日中平和友好条約を調印。同じく、1972年に、沖縄が日本に復帰するも、アメリカ軍基地は残されました。

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