【中学歴史】ヨーロッパの歴史の要点まとめノートについてまとめています。
ヨーロッパの歴史の要点
ルネサンスと鉄砲・キリスト伝来に関して、15,16世紀のヨーロッパ、アメリカ大陸の発見、植民地化などにもふれています。
中世のヨーロッパ
古代ローマ帝国がほろびたのちのヨーロッパは中世と呼ばれる時代に入りました。
➋古代ローマ帝国の滅亡…4世紀の終わりごろ、異民族の侵入を受けた古代ローマ帝国は東西に分裂しました。
➌中世ヨーロッパの始まり…5世紀の終わりごろ、現在の西ヨーロッパにあたる西ローマ帝国がほろびて、いくつかの国が生まれました。 このころからの時代を中世と呼びます。
イスラム世界と十字軍
11世紀になると、西アジアでは、アラビア人にかわってトルコ人のセルジューク朝が勢いをのばしてきた。イスラム教のセルジューク朝は、 エルサレムを占領し、そこをおとずれるキリスト教徒を迫害するようになった。それに加えて、東ローマ帝国をはげしく圧迫したので、東ロ ーマ皇帝は、ローマ教皇に助けを求めた。そこで、ローマ教皇ウルバヌス2世は、エルサレムをイスラム教徒からとりかえすための遠征軍を送るように、人々によびかけた。これが十字軍のはじまりである。
- キリスト教…キリスト協会が人々の精神的な支えとなります。
- 正教会…ビザンツ帝国と結びつきます。
- カトリック協会…ローマ教皇(法王)を中心に、西ヨーロッパ諸国の王や貴族に結びつき、勢力を伸ばしていきます。
十字軍の遠征
ローマ教皇のよびかけにおうじた国王や諸侯・騎上、商人や農民による十字軍は、11世紀の末から約200年間で前後7回送られた。一時はエルサレムを占領したが、遠征の回をかさねるにつれて、人々の宗教的情熱よりも経済的利益が優先されるようになり、はげしい略奪や暴行が行われた。イスラム教徒もねばり強く抵抗を続け、十字軍の遠征は結局失敗に終わった。
ヨーロッパ各国からの連合軍であったから、統制を失い、内部の不和がおこりがちであった。また、聖地エルサレムの回復を目的としながら、一面では東方の富を得ることを願うというように、その目的に多様なものがふくまれていた。
「神の軍隊」として行われた十字軍が失敗に終わったため、これを指導したローマ教皇はその権威を失った。
封建制度のくずれ
遠征に参加した諸侯・騎士は、戦死したり、多くの戦費をつかい勢いがおとろえた。一方、国王は、十字軍の総司令官としての活躍などによって力を強め、封建制度がくずれはじめた。
東方貿易の発達
十字軍の遠征の通路にあたる地中海やその沿岸の交通が発達し、イタリア諸都市の商人と西アジアのイスラム商人との貿易(東方貿易)が活発になった。また、東ローマ帝国やイスラムのすぐれた文化がヨーロッパに伝わった。
商業と都市の発達
東方貿易がさかんになるとヨーロッパ各地で商工業 が発達した。イタリアやドイツなどでは、新しい都市が栄え、領主から独立して手工業者や商人などの市民が自治を行った。これが自治都市(自由都市)である。
- イスラム教…ムハンマドが説いた一神教の教え。
- 北アフリカから地中海に面するヨーロッパ、東南アジアにまで勢力を伸ばします。キリスト教の聖地であるエルサレムをイスラム勢力がうばいます。
- ローマ教皇の呼びかけでヨーロッパ諸国の王や貴族が十字軍を編成し、聖地奪還をめざし遠征。
ルネサンス
イスラム文化との接触により、ギリシャ、ローマの古代文明を学びなおすルネサンス(文芸復興<再生>)がおこりました。
- 人間性を表現する美術…ボッティチェリ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ビンチなど。
- 天文学・地理学の発達…地球球体説にもとづく世界地図、精巧な羅針盤など。
宗教改革
教会が腐敗していき、ルター、カルバンらによる宗教改革を行います。ルターはローマ教皇から破門されましたが、ドイツの諸侯がルターを支持して、宗教改革が始まりました。カトリック教会の立て直し、イエズス会を設立。16世紀のはじめカトリック教会のあり方への批判が起きました。ローマ教皇が大聖堂改築の費用を集めるため、免罪符を売り出しました。
アメリカの植民地化
植民地と奴隷貿易において、アメリカ大陸おいてコロンブスは、カリブ海の島をインド(アジア)の一部だと思っていました。大陸を発見したスペイン人は、アメリカ大陸を先住民を武力で制服し、植民地としました。ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ大陸による大西洋をまたぐ三角貿易をしました。
- スペイン…世界に領土を広げ、「日のしずむことのない帝国」と呼ばれました。
- ポルトガル…スペインから独立。東インド会社を設立し、アジアに海外拠点を増やしました。
鉄砲の伝来
鉄砲は、ポルトガル人を乗せた中国の船が種子島(鹿児島県)に漂着し伝えました。各地に広まり、堺(大阪府)、国友(滋賀県)などでつくられました。
南蛮貿易
- フランシスコ・ザビエル…イエズス会の宣教師。キリスト教を伝えるため来日。鹿児島、山口、京都、豊後府内(ぶんごふない)(大分県)などで布教。
- 南蛮貿易…南蛮人(ポルトガル人やスペイン人)との貿易。中国産の生糸や絹織物、毛織物、時計、ガラス製品などを輸入。おもに、日本は、銀を輸出しました。
キリスト教の広まり
- キリシタン大名…貿易の利益に着目した九州の戦国大名がキリスト教徒=キリシタンになる。豊後の大友宗麟(おおともそうりん)ら3人のキリシタン大名が、ローマ教皇のもとに四人の少年使節である天正遺欧少年使節を派遣。
- 宣教師…各地に協会、修道院、学校、病院、孤児院を建設しました。民衆に広まり、信者が30万人を越えました。
大航海時代
十字軍の遠征以来アジアへの関心が高まり、マルコ=ボーロの『世界の記述』(東方見聞録)では、ヨーロッパ人の関心がより強まった。15世紀末から、「大航海時代」を迎えた。世界の一体化がはじまり、その結果、ヨーロッパの経済・社会も大きく変化した。16世紀には、ヨーロッパ各地に広まった宗教改革に対して、カトリック教会も内部革新に取り組んだ。 新大陸を征服したスペインは、16世紀後半に全盛期を迎えたが、その繁栄は長くは続かなかった。
百年戦争(1339~1453年)
毛織物生産がさかんなフランドル(現在のベルギーの地域)をめぐるフランスとイギリスの戦い。フランスが勝って、イギリスは大陸から追われた。
絶対王政
16~18世紀のヨーロッパでは、国王が常備軍をもって教会や諸侯をおさえ、役人の制度を整え、地方には中央から役人を派遣するなどして支配を強めていった。重商主義政策を行って産業を保護し、輸出を奨励して財源を確保した。
イギリスのインド支配
アジアへの侵略を進めるイギリスは、1600年に、アジアとヨーロッパの貿易や、アジアでの植民地経営を進めるために東インド会社を設立し、マドラス・ボンベイ(現在のムンバイ)・カルカッタを拠点にムガル帝国に進出した。
三国貿易
イギリスは銀の流出を防ぐために、本国で生産した綿織物を大量にインドへ輸出し、インドの農民に麻薬をつくらせて、ひそかに清に輸出させた。この結果、清の銀はインドを経由してイギリスにもどることになったが、逆に清は銀の流出で財政難となり、アヘンの中毒が人々に広がったため、アヘンの密輸を禁止した。
アヘン戦争
アヘン戦争は、清の役人が密輸厳禁策を強行して、イギリス商人のアヘンを没収して焼き捨てたため、イギリスは自国の貿易や商人の保護を口実にして、1840年、清で起きた戦争です。
南京条約
1842年、イギリスと清は講和条約として南京条約を結び、清は広州・上海など5港を開き、イギリスに香港をゆずり、多額の賠償金をしはらった。
大平天国の乱
人々の生活が苦しくなると、満州人の清を倒して漢民族の再興をはかり、貧富の差のない平等な社会をめざす動きがおこった。1851年、洪秀全は農民を率いて兵をあげ、国号を建業国とし、1853年に南京を占領して都とした。
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