中学歴史「安土桃山時代の要点ノート」

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中学歴史「天下統一(織田信長・豊臣秀吉の事業)」についてまとめています。織田信長・豊臣秀吉の事業、貿易、桃山文化にふれています。それでは、中学歴史「天下統一(織田信長・豊臣秀吉の事業)」です。

織田信長の統一事業

  • 桶狭間の戦い…愛知県で今川義元を破る。
  • 足利義昭(あしあがよしあき)を援助して、京都にのぼります。その後、義昭を追放して、室町幕府を滅ぼします。
  • 長篠の戦い…愛知県で1575年、鉄砲を有効に使った戦いで武田勝頼(たけだかつより)を破ります。
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信長の政策

  • 安土城(滋賀県)を築き、城下で楽市・楽座の政策。座や各地で関所(せきしょ)を廃止しました。
  • 自治都市(堺)や仏教勢力(延暦寺、一向一揆)をきびしい態度で屈服させます。
  • キリスト教の宣教師を優遇。
  • 明智道秀にそむかれて、本能寺で自害。

豊臣秀吉の統一事業

  • 朝廷から関白に任じられます。
  • 北条氏(関東)をたおし、全国を統一。
  • 200万石の領地を持ち、大阪、京都、堺などの都市を直接支配。佐渡金山(新潟県)、生野銀山(兵庫県)、石見銀山(島根県)の開発。
  • 統一的な金貨を発行。大阪に天守をうるしと金でかざられた大阪城を築く。
  • 長崎がイエズス会に寄進されていたことから、バテレン追放令を出し、宣教師に国外追放を命じます。

秀吉の政策

➊太閤検地…ものさしやますを統一し、田畑の面積や土地のよしあしを調べ、予想される収穫量を石高であらわしました。収穫高などは検地帳に記録しました。これにより、全国の土地が統一的な基準であらわされるようになりました。検地帳に登録された農民だけに、土地の所有権を認めます。
➋刀狩…農民や寺社から弓や刀、やり、鉄砲などの武器を取り上げれます。武力による農民の一揆を防ぎ、耕作に専念させました。自分の領地にいた武士は、大名の城下町に集められました。
➌兵農分離…武士と農民の身分をはっきりと区別しました。

秀吉の貿易

  • 京都・長崎・境の商人…東南アジアへの渡航の奨励。
  • 海賊を取り締まる法律を出して貿易船の安全を図ります。
  • 朝鮮、高山国(台湾)、ルソン(フィリピン)に服属を求めます。

朝鮮戦略

  • 文禄の役…1592年、明の制服をめざして15万人の大軍を送りました。首都漢城(ソウル)を占領。北部に進むが明におしもどされ、民衆による抵抗運動に合います。朝鮮南部では、李舜臣(りしゅんしん)の水軍が亀甲船(きっこうせん)で日本の水軍を破ります。
  • 慶長の役…1597年、ふたたび朝鮮へ出兵します。日本の軍勢は苦戦し、秀吉の病死を機に引きあげます。

武士や農民も思い負担に苦しみ、大名間の対立も表面化。豊臣氏没落の原因となります。

日本でのキリスト教の広まり

キリスト教は、大名から民衆まで広まっていきます。やがて、貿易の利益に着目しキリスト教を保護する大名も現れます。

キリシタン大名

キリスト教を信仰する人(キリシタン)は増えていき、キリスト教徒となる戦国大名もあらわれました。

  • キリシタン大名…キリスト教に改宗した戦国大名です。南蛮船はキリスト教の布教を認めた港に来航したことから、南蛮貿易の利益を得ようとして改宗した大名が出てきました。九州にキリシタン大名 が多いのは、こうした背景があります。
  • フランシスコ・ザビエル…イエズス会の宣教師。キリスト教を伝えるため来日。鹿児島、山口、京都、豊後府内(ぶんごふない)(大分県)などで布教。
  • 南蛮貿易…南蛮人(ポルトガル人やスペイン人)との貿易。中国産の生糸や絹織物、毛織物、時計、ガラス製品などを輸入。おもに、日本は、銀を輸出しました。

<おもなキリシタン大名>

  • 大友宗麟(1530~87)…豊後(大分県)の戦国大名
  • 大村純忠(1533~87)…肥前(長崎県)の戦国大名、長崎を教会に寄進。
  • 有馬晴信(1567?~1612)…肥前の戦国大名

天正遣欧少年使節

1582年、大友、大村、有馬の3人のキリシタン大名は、宣教師のすすめに従い、4人の少年を使節として、ローマ教皇のもとへ派遣しました。

布教活動とキリスト教の広まり

宣教師たちの活発な布教活動によってキリスト教は広まりました。

  • 宣教師の活動…宣教師は、九州(長崎,豊後など)や京都に教会、学校、病院、孤児院などを建設し、布教や慈善事業を行いました。
  • 信仰の広がり…信仰は民衆にも広がり、17世紀のはじめには信者は 30万人を超えました。

桃山文化とは

織田信長・豊臣秀吉が政権をにぎった約30年間を、信長の安土城や秀吉晩年の伏見城(城跡がのちに桃山とよばれる)にちなんで安土桃山時代とよんでいます。そして、この時期に栄えた文化を桃山文化といいます。桃山文化は、新興の大名や海外貿易などで活躍する大商人らの気風を反映して、豪華で壮大な活気に満ちた文化です。また、仏教の影響がうすれ、南蛮文化の影響を強く受けるようになり、庶民の間にも広まっていることも特徴です。

  • 城…安土城、大阪城、姫路城など壮大な天守閣を持ちました。
  • 絵画…狩野永徳の唐獅子図屏風など
  • 茶の湯…堺の商人千利休が質素なわび茶を大成させます。
  • 民衆の文化…浄瑠璃が琉球(沖縄県)から伝わった三線をもとにつくられた三味線に合わせて語られました。出雲の阿国が始めたかぶき踊りも流行しました。
  • 衣服…小袖(こそで)が一般的になりました。庶民の衣服は、麻から木綿に。

桃山時代の建築・絵画

壮大な城や書院造の部宅の内部には、障壁画がえがかれました。建築や絵画には、桃山文化の特色がよく表れています。

  • 天守閣…安土城・大阪城・姫路城など、そびえ立つ天守閣や石垣が築かれ、堀に囲まれた壮大な城は、領内の政治の中心となり、支配者の権威を示しました。
  • 書院造…城内の御殿、公家や上級武士・大商人の邸宅などには書院造が取り入れられた。書院造を取り入れた城郭風邸宅として、豊臣秀吉が京都に造営した 聚楽第(じゃらくてい)が知られています。
  • 障壁画…城や邸宅内部のふすまや屏風には、狩野永徳・山楽らの狩野派や長谷川等伯らの豪華な障壁画がえがかれました。
  • 南蛮屏風…風俗をえがいた風俗画や、南査人の風俗や生活様式を題材にした南蛮屏風が流行しました。

茶道

室町時代に始まった茶の湯は、人名や大商人の間で流行していましたが、藩(大阪府)の商人の千利休が茶道(わび茶)として大成しました。芸能では、出雲(島根県)の国が始めた歌舞後おとり(阿国歌舞伎)が流行し、歌舞伎のもとになりました。また、小歌(気軽に歌える歌詞)が流行ししました。さらに、琉球 (沖縄県)から伝わった一線を改良して三味線がつくられ、それに合わせて人形浄瑠璃が語られるようになりました。

南蛮貿易

ヨーロッパの文化から影響を受けて成立した芸術や流行の風俗。

  • 天文や医学、航海術など、新しい学問や技術が伝わりました。
  • 狩野派の画家が、南蛮船入港の様子をえがく、ヨーロッパ風の絵画、宗教画。
  • 活版印刷術が伝えられ、聖書、平家物語などの書物がローマ字で印刷されました。
  • 衣服は、金のくさりやボタン、ヒダのあるえりがついたヨーロッパ風の衣服。十字架をかたどった首飾り。
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