中学歴史「大正時代の要点まとめノート」

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中学歴史「大正時代」についてまとめています。大正デモクラシーと新しい文化に関して、第一次護憲運動、社会運動、普通選挙法などにもふれています。第一次世界大戦が終わると、輸出や国内の需要が減少して不景気になり、企業の倒産や失業者が増加した。こうした社会状況のなかで、大正デモクラシーの風潮が広まり、ロシア革命の影響もあって、労働運動や農民運動が活発になっていった。

大正デモクラシー

  • 民本主義吉野作造が、普通選挙によって国民の意向を政治に反映させることを主張。
  • 天皇機関説美濃部達吉が主張した、主権は国家にあり、天皇は国家の最高機関として憲法に従って統治するという憲法学説。
友愛会
1912年に労働者の地位向上をめざして設立された友愛会は、1921年には日本労働総同盟へと発展し、その後の労働運動を指導するようになった。やがて、各地で労働争議が続発していった。この間、1920年5月2日には、上野公園 (東京都台東区)で約1万人を集めて日本初のメーデーが開催され、労働者の団結による地位の向上を訴えた。深刻な不景気は農村にも大打撃をあたえ,各地で小作料の引き下げなどを求めて,小作争議が続発するようになった。1922年には、農民の地位向上をめざして、全国組織の日本 農組合が結成され,農民運動に指導的な役割をはたした。

第一次護憲運動とは

1912(大正元)年、西園寺公望内閣は、軍部の反対で辞職した。そのあと組閣した桂太郎は、陸軍出身で長州(山口県)閥であったため、1913年にかけて、尾崎行雄(立憲政友会)や犬養毅(立憲国民党)らを中心に、「閥族打破・憲政擁護」をかかげた第一次護憲運動がおこった。運動は国民の支持をうけ、稚内閣は倒れた(大正政変)。

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政党内閣の成立

1918(大正7)年、米騒動で寺内正毅内閣が総辞職したあと山県有朋らの元老も政党内閣を認め、立憲政友会の原敬を首班とする内閣が登場した。原敬内閣は、陸軍・海軍・外務の3大臣を除いて、立憲政友会のメンバーで構成され、はじめて本格的な政党内閣が成立した。

  • 米騒動の原因…シベリア出兵を見こした商人たちが、米を買い占めたため、米の値段が急激に上がったから。
  • シベリア出兵…世界大戦が終わると、列国は、まもなくシベリアから撤兵したが、日本だけが1922年まで出兵を続け、国の内外から非難を浴びた

第二次護憲運動とは

原敬内閣・高橋是清内閣の政友会内閣のあと、再び軍人・官僚出身の内閣が続いた。1924(大正13)年、枢密院議長の清浦奎吾が貴族院を中心とする内閣を組織すると、立憲政友会・憲政会・革新倶楽部の3党(護憲三派)が、世論の支持をうけて第二次護憲運動をおこした。護憲三派は5月の衆議院選挙で圧勝し、加藤高明(憲政会)を首班とする護憲三派内閣が成立した。

犬養毅内閣

1932(昭和7)年に犬養毅内閣が、五・一五事件で倒れるまで、議会で多数を占める政党が内閣を組織する政党内閣が続いた。

  • 五・一五事件…海軍の青年将校の一団が、首相官邸をおそって、「満州国」承認に反対する態度をとったとして、犬養毅首相を殺害した事件

普通選挙法と治安維持法

加藤高明内閣の下で、1925(大正14)年に、満25歳以上の男子に対する普通選挙法が成立した。しかし、婦人参政権は認められず、また同時に治安維持法が制定され、社会主義・共産主義運動に対する弾圧は強まった。

  • 普通選挙法の成立…1925年、納税額による制限を廃止し、満25歳以上の男子選挙権を与えました。
  • 治安維持法…治安維持法は普通選挙法と同時に制定。共産主義に対する取り締まりを強化。加藤内閣以後8年間、政党の総裁が内閣を組織。憲政の常道という。

辛亥革命

中国では、列強諸国による侵略に対抗する動きが強まり、腐敗した清朝を倒して漢民族の独立を勝ちとり、近代国家をつくろうとする革命運動がさかんになっていた。1905年、東京で孫文(広州での決起に失敗し,このころ日本に亡命していた)を総理とする中国同盟会が結ばれ、この革命運動の中心勢力となった。

孫文

三民主義を唱え、民族の独立と近代国家建設を目指す革命運動の中心となりました。民族主義・民権主義・民生主義の三民主義を唱えて革命運動を指導し、のちに「中国革命の父」とよばれた。

革命の広がり

1911年7月、清政府が外国から資本を借りて民間鉄道を国有化しようしたことが発端となって、四川省( 国中南部)で民衆の反政府運動がおこった。こうした民衆の動きに応じて、1911年10月、中国南部の長江中流域の信(現在の武漢)で軍隊が反乱をおこし、ここに辛亥革命が始まった。革命運動はまたたく間に全国に広がり、24省のうち14省 が清朝からの独立を宣言した。

中華民国の成立

1912年1月1日、革命軍は南京を首都として中華民国の 成立を宣言し、孫文を臨時大総統にむかえた。これは、アジアで最初の共和国であった。これに対して清政府は、軍閥の袁世凱に革命政府を討つように命じたが、袁世凱は孫文と手を結んで、1912年2月 清朝最後の皇帝の宣統帝(薄儀)に退位をせまって、300年ほど続いた清朝を滅ぼした。その翌月、袁世凱は、孫文を退けて中華民国大総統とな自都を北京に移して革命派を弾圧し、議会を無視して独裁的な政治を展開した。袁世凱の死後、各地の軍閥が独立した地方政権のようになり、広州に本拠地をおいた孫文も1919年に中国国民党を結成して軍閥に対抗した。

五・四運動

中国は、パリ講和会議で二十一か条の要求の取り消しを求めたが無視されたため、1919年5月4日、北京大学の学生らが講和条約に反対し、二十一か条の要求の破棄を求めて、抗議行動をおこした。この運動は中国全土に広がり、日本などの帝国主義勢力や軍閥に反対する愛国的民主運動へと発展した(五・四運動)。これをきっかけに、孫文らは1919年に中国国民党を結成し、1921年には中国共産党も結成された。両党は協力して軍閥打倒をさけぶとともに、イギリスや日本などの帝国主義勢力に対抗した。孫文のあとをついだ 国民党の蒋介石は、1926年から1928年に北伐(北方軍閥を倒すための闘い)を行い、1927年4月、南京に国民政府を樹立した。

二十一か条の要求

日本政府は政情の不安定な中国の袁世凱政府に対して、1915年1月、二十一か条の要求をつきつけた。二十一か条の要求のなかで、日本は中国に対して、➊山東省にあるドイツの権益を受けつぐこと、➋旅順・大連の租借期限や南満州鉄道の利権の期限延長、➌南満州や内モンゴルでの日本の利権の拡大、➍日本人を政治・財政・軍事顧問として中国政府に採用することなどを要求した。

中国の日本に対する対応
中国政府は、二十一か条のの要求を内外に発表して、その不当性を訴えるなど強く抵抗したが、日本は軍事力を背景にして、日本人顧問の採用など一部分を保留にし、1915年5月9日、要求の大部分を認めさせた。日本の要求は中国の主権を侵すものだったため、中国の人々は強く反発し、5月9日を「国恥記念日」として、各地ではげしい反日運動がおこった。また、中国での日本の利権拡大に対して、欧米諸国の警戒を招くことになった。

三・一独立運動

日本からの独立を求めていた朝鮮では、1919年3月1日、京城(現在のソウル)で日本からの独立を求める宣言が発表され、人々は「独立万歳」をさけんでデモ行進をした。この動きはたちまち,朝鮮全土に広がった(三・一独立運動)。 日本は警察や軍隊を動員して、これを鎮圧したが、政策転換をせまられ、憲兵(軍事警察官)が主体だった警察制度を改め、朝鮮語の新聞・雑誌の発行を許可するなど、武力による支配をゆるめた。しかし、その後も朝鮮の近代化を求める動きは活発になり、独立運動も国の内外で続けられた。

インドの民族運動

戦争に協力すれば自治と認めるという約束をイギリスを守らなかったため、独立をめざす運動が高まりました。。ガンディーが、非暴力、不服従を唱え、独立運動を指導。完全な自治を求めました。

第一次世界大戦

第一次世界大戦を前に、列強は、二つに分かれました。

  • 三国同盟…ドイツ・オーストリア・イタリア
  • 三国協商…イギリス・フランス・ロシア

バルカン半島は、列強の利害と民俗、宗教の対立から紛争が絶えず、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれた。ロシアが南下政策をとり、オーストリアと対立。

第一次世界大戦のきっかけは、サラエボでオーストリアの皇太子夫妻がセルビア人の青年に暗殺されたことで始まります。ドイツ、オーストリア、トルコなど同盟国側とイギリス、フランス、ロシアの連合国側が戦う。日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦。

総力戦とその結果

  • 新兵器の登場…戦車・飛行機・毒ガスなど。
  • 総力戦…国民と経済、科学技術や資源を総動員し。国力を使い果たす。

日本の第一次世界大戦への参戦

第一次世界大戦が始まると、ヨーロッパが主要な戦場になり、欧米列強のアジアへの関心はうすれていた。これを好機ととらえて、日本政府(第2次大隈重信内閣)は、世界大戦に参戦して中国での利権を拡大しようとした。こうして、1914年8月、日英同盟を理由にドイツに宣戦し、イギリスが属する連合国側で参戦した。日本軍は11月までに、中国におけるドイツの軍事基地である青島をふくむ山東半島赤道以北のドイツ領南洋諸島の一部を占領した。

日本国内の第一次世界大戦の状況
第一次世界大戦が起こると、国産化が困難で輸入に依存していた機械や化学製品の一部は、深刻な品不足になります。唯一、外貨を稼げるのは、製糸業であり、生糸の大部分はアメリカへ輸出。また、鉄鋼、造船、染料、肥料など重化学工業が成長し、工業は生産総額で農業を上回るようになりました。物資の供給が大不足になり、各種の物価は暴騰します。

ロシア革命

ロシアは日露戦争・第一次世界大戦と続けて参戦したため、民衆の生活は苦しく、帝政への不満が高まり、各地の労働者と兵士はソビエト(ロシア語で「会議」という意味)を組織した。1917年3月に、首都のペトログラード(現在のサンクトペテルブルク)で労働者のストライキや兵士の暴動がおこり、これが全国に広がると、この暴動のなかで帝政が倒され、臨時政府が成立した(三月革命)。

近代の革命史

  • 1789年…フランス革命始まるパスティーユ牢獄襲撃
  • 1830年…フランス七月革命(ルイ=フィリップ即位)
  • 1848年…フランス二月革命(第2共和政)
  • 1848年…三月革命(ドイツ・オーストリア):メッテルニヒ亡命
  • 1853年…クリミア戦争(~56)(聖地管理権問題)
  • 1917年…ロシア革命

十一月革命

臨時政府が戦争を継続したため、1917年11月、レーニンが指導する労働者や兵士・農民らは,臨時政府を倒して、初めての本格的な社会主義政府(ソビエト政府)をつくった(十一月革命)。ソビエト政府は,大地主の土地を取 りあげて農民に分け、資本家の工場や銀行。鉄道などを国営として社会主義国家の建設を進めた。その一方で、交戦国に無併合・無賠償・民族自決を原則とする和平を訴えたが、聞き入れられず、1918年3月、ドイツと単独講和を結んだ。

ロシア国内

ロシア国内では、資本家や地主などがロシア革命に反対して内乱をおこし、諸外国は反革命派を応援して軍隊を派遣した。アメリカ合衆国や日本も1918年にシベリア出兵を行って, ロシア革命に対する干渉戦争をおこしたが、ソビエト軍のはげしい抵抗にあって失敗し、兵を引きあげた。こうして、混乱と危機をのりこえた政府は、1922年12月ソビエト社会主義共和国連邦(略称はソ連)を成立させた。

日本のシベリア出兵

世界大戦が終わると、列国は、まもなくシベリアから撤兵したが、日本だけが1922年まで出兵を続け、国の内外から非難を浴びた。

<出題例>
1918年におきた米騒動の原因を、「シベリア出兵を見こした商人たちが、」の書き出しで書け。
解答(シベリア出兵を見こした商人たちが、)米を買い占めたため、米の値段が急激に上がったから。

独裁と計画経済

レーニンのあとをついで指導者になったスターリンが共産党の独裁体制を指揮しました。重工業中心の工業化と農業の集団化を強行したを五か年計画により成長を遂げる。国の方針に対する反対派を弾圧して、多くの人を処刑する。

民族国家の誕生

ロシアでは革命によって帝政が倒され、ドイツ、オーストリア、トルコは第一次世界大戦に敗れたために帝政から共和政に変わり、四大帝国がなくなった。北ヨーロッパ・東ヨーロッパでは、民族自決主義にもとづいて、四大帝国の支配下から多くの民族国家が誕生した。また、植民地となっていたアジア・アフリカでも独立運動がおこったが、この地域での民族自決は考慮されなかった。

国際協調の高まり

1918年11月にわたる第一次世界大戦が終結すると、1919年1月、戦勝国27か国の代表がフランス外務省に集まってパリ講和会議が開催された。しかし、この会議に敗戦国ドイツなどの参加は認められなかった。

ベルサイユ条約

ドイツが降伏して、第一次世界大戦が終わる。パリ講和会議の前年に、民族自決、軍備の縮小、国際的な平和組織の設立、秘密外交の廃止などの14か条を発表していたアメリカ合衆国大統領のウィルソンは、この方針を会議の原則とするように主張した。しかし、イギリス・フランスなどの戦勝国は自国の利益を優先して、敗戦国にきびしい処置をとることを主張した。この講和会議では、国際連盟の設立やドイツに対する講和の内容が議決された。1919年6月、パリ郊外の地にあるベルサイユ宮殿で、連合国とドイツの間でベルサイユ条約が結ばれた。

ドイツへの処置
ベルサイユ条約では、ドイツに対する処分が決められ、ドイツは本国の領土の約13%とすべての植民地を失った。また、巨額の賠償金を課せられ、軍備も制限された。いっぽう、日本は、中国におけるドイツの権益を受けつぎ、赤道以北のドイツ領南洋諸島に対する国際連盟からの委任統治権を得た。

国際連盟

ウィルソン大統領が14か条の一つとして提案した国際連盟が、1920年に設立された。これは、国際平和の確立と維持をはかるための世界最初の国際平和機構だった。国際連盟の本部はジュネーブ(スイス)におかれ, 総会・ 理事会・事務局や国際労働機関・常設国際司法裁判所が設 置された。理事会では日本・イギリス・フランス・イタリアが常任理事国となり、新渡戸稲造が事務局次長に就任するなど、日本は国際的な地位を高めていった。

国際連盟の実態

提案国のアメリカ合衆国は、議会の反対で国際連盟に加 明できず、ドイツやソ連も初めは加盟を認められなかった。国際連盟の総会での議決方法は全会一致制だったために、議事がはかどらないことが多かった。また、国際連盟には、現在の国連軍のような侵略国などに対して武力制裁を加 えるための軍事力がなく、注意をうながすか、経済制裁を行うことしかできず、国際紛争の解決が困難だった。

軍縮会議の開催

大戦後、列強は再び軍備拡張に力を入れるようになった。そこでアメリカ合衆国は、1921~22年、イギリス・フランス・日本・中国などによびかけて,主要9か国によるワシントン会議を開いた。アメリカの目的は,東アジアでの日本の勢力拡張をおさえるとともに、日本やイギリスとの戦艦建造競争を止めることにあった。

ワシントン会議

ワシントン会議では、1921年に四か国条約、1922年に海軍軍縮条約・九か国条約が結ばれた。

四か国条約

四か国条約は、アメリカ・イギリス・フランス・日本の 間で結ばれた。太平洋の島々での各国の権利をたがいに尊重する内容で、日英同盟は廃止された。

海軍軍縮条約

海軍軍縮条約では、アメリカ・イギリス・フランス・日本・イタリアの間で、主力艦の保有量を制限した。

九か国条約

九か国条約では、会議に参加した9か国が中国の主権を尊重し、中国での各国の経済活動の機会均等と門戸開放を約束した。日本は、この条約にもとづいて中国と直接交渉して、大戦直後にドイツから受けついだ山東省の権益を返還した。

不戦条約

1928年にはパリで不戦条約が結ばれ、国際紛争の解決に武力は使わないことを定めたが、違反国に対する制裁規定がなく、効果は疑問であった。

ロンドン軍縮会議

1930年に開かれたロンドン軍縮会議では、アメリカ・イギリス・日本の3国間で補助艦の保有量が制限された。日本国内ではこのとき、海軍や野党(立憲政友会)を中心に政府の国際協調の方針に不満が高まり、浜口雄幸首相が襲撃されて重傷を負い、のちに死亡する事件がおこった。

大衆の時代

  • アメリカ、イギリスなど女性の選挙権が認められる。イギリスで初の労働党内閣が誕生。
  • ワイマール憲法…1919年に公布されたドイツの憲法。国民主権、満20歳以上の男女が普通選挙権、労働者の団結権などを認めました。

大戦景気と米騒動

  • 大戦景気…綿織物など輸出が増加。欧米から輸入が途絶えため、重工業が発展する。シベリア出兵をきっかけとした米の買い占めにより、米の値段が大幅に上昇。富山県の漁村から、米の安売りを要求して米屋に押しかける米騒動が起こります。のちに全国に広がり、政府は軍隊を出動させて鎮圧。

政党内閣の成立

米騒動により、寺内正毅内閣は退陣。衆議院第一党の立憲政友会の総裁の原敬が首相に就任。陸軍、海軍、外務の三大臣以外がすべて立憲政友会の党員で組織された本格的な政党内閣が成立しました、

社会運動の広がり

労働者の増加により、労働争議(労働者と使用者の間の紛争)も増加。友愛会が1920年に日本で最初のメーデー(労働者による大規模な集会)を主催。友愛会は、日本労働総同盟と改称し、労働者の団結と労働条件の改善を求めました、

小作料の減額を求める小作争議が増加。日本農民組合が結成され、農民運動を指導。
社会主義活動の活発化。ロシア革命により、共産主義の関心が高まる。日本共産党が結成された。

女性運動の台頭

1911年に、平塚らいてう(雷鳥)らは青踏社を結成し、女性 だけの雑誌『青靴』を発行して、「新しい女」を主張した。1920年には、平塚雷鳥・市川房枝らが新婦人協会を設立 して、女性が政党に加入したり、演説会に参加したりする自由を求め、婦人参政権獲得のための運動も進めた。

全国水平社
社会的・経済的に差別を受けてきた被差別部落の人々も、社会運動の高まりのなかで、自らの手で人間としての平等を勝ちとり。差別を自主的に撤廃しようとする部落解放運動を本格的に展開するようになった。1922年、全国水平社を結成し、解放運動をねばり強く進めていった。 さらに、社会主義運動も政府の弾圧のなかでも進められ、1922年には日本共産党がひそかに結成された。

解放運動

  • 部落解放運動…被差別部落の人々が自らの力で平等を勝ち取り、差別からの解放をめざす運動。
  • 全国水平社…1922年京都で結成される。
  • アイヌ民族の解放運動…1930年、北海道アイヌ協会を結成。日本社会の同化政策に反対する。

普通選挙法と治安維持法

男子普通選挙法の実現に向けて、原内閣のあと、非政党内閣が続きます。政党勢力は第二次護憲運動をおこし、憲政会総裁の加藤高明を首相
とする連立内閣が成立します。

  • 普通選挙法の成立…1925年、納税額による制限を廃止し、満25歳以上の男子選挙権を与えました。

治安維持法

治安維持法は普通選挙法と同時に制定。共産主義に対する取り締まりを強化。加藤内閣以後8年間、政党の総裁が内閣を組織。憲政の常道という。

大正文化

大衆文化の登場し、1925年日本で初めてラジオ放送が始まります。文学では白樺派・新思潮派・プロレタリア文学などがおこった。教育では、義務教育が行きわたり、高等学校や大学の数も増加し、市民文化の成長をうながします。

教育の広がり

明治時代末期に義務教育がほぼいきわたりました。中等・高等教育の普及が進み、中学校や女学校への進学率が高まりました。大学や専門学校が増え、多くの知識人が生まれました。小学校では、個性を大切に、自主性を重視する自由教育の運動も始まりました。大学令では、公立・私立大学の設立が認められた。芸術では、岡倉天心らが日本画を再興し、梅原竜三郎ら洋画家が、二科会を結成と芸術分野も発展。日本放送協会が設立され、ラジオ放送をはじまるなどマスコミを発達。このころになると、鉄筋コンクリートの建物も増え始めます。サラリーマンを増えるのもこのころ。化学肥料の生産増加と普及によって食料の増産がはかられました。野球の普及もこのころ。

人物 実績・作品 備考
北里柴三郎 ペスト菌の発見、破傷風の血清療法 ドイツでコッホに学んだ細菌学者
与謝野晶子 君死にたまふことなかれ 雑誌「明星」に発表
夏目漱石 吾輩は猫である、坊ちゃん、こころ 個人主義の立場の作家
フェノロサ 日本画の復興 アメリカ人で岡倉天心と協力
黒田清輝 読書、湖畔 印象派
滝廉太郎 荒城の月、花、箱根八里 洋楽発展に寄与した作曲家

自然科学では、本多光太郎がKS磁石鋼を発明し、人文科学では、哲学の西田幾多郎、歴史学の津田左右言、民俗学の柳田国男らが活躍した。文学では、武者小路実篤・志賀直哉らが雑誌『白樺』 を創刊し、人道主義・理想主義を唱えた(白樺派)。芥川龍之介や菊池寛らは新思潮派とよばれ、人生の現実を見つめようとする作品を発表した。小林多喜二・徳永直らは働く人々の生活を小説にえがき、プロレタリア文学とよばれた。

洋画では、梅原龍三郎・安井曽太郎らが出て二科会で活躍し、竹久夢二は叙情的な美人女性の風俗画をえがいた。演劇では、小山内薫らが築地小劇場を設立して新劇運動を確立し、沢田正二郎が新国劇を広めた。

大正時代文学作品

  • 「赤い鳥」…童話と童謡が発表される。児童文学が発達していきます。
  • 「その妹」…武者小路実篤
  • 「白樺」…雑誌で、人道主義的作品を多く扱う。
  • 「或る女」…有島武郎(白樺派の作家)。永井荷風は、耽美派。
  • 「種蒔く人」…プロレタリア文学の雑誌
  • 「蟹工船」…小林多喜二
  • 「大菩薩峠」…中里介山
  • 「伊豆の踊子」…川端康成

大衆文化の発展

新聞、週刊誌、総合雑誌の部数が増加。文学全集、文庫本の出版などの文化の大衆化がおこりました。トーキー(有声映画)の登場、蓄音機、レコードの普及で歌謡曲が流行。また、1925年ラジオ放送が始まり、新聞と並ぶ情報源となりました。

新しい思想や文化

大正から昭和時代の初めごろ(1920年代)には、欧米文化を吸収して生活の近代化が進み、新聞や大衆雑誌が大量に発行され、映画・レコード観賞などが人々の娯楽として広まった。また、1925年にはラジオ放送が始まり、野球やテニスなど、各種のスポーツにも人気が集まった。

  • 学問…西田幾多郎が「善の研究」で東洋に西洋の哲学を統一・
  • 文学…人道主義の理想を掲げた白樺派の志賀直哉の「暗夜行路」、谷崎潤一郎、芥川龍之介の「羅生門」「地獄変」があり、小林多喜二のプロレタリア文学も登場しました。
  • 美術…安井曾太郎や梅原龍三郎。
  • 音楽…日本で最初のプロ・オーケストラ組織した洋楽の山田耕筰。邦楽の宮城道雄。

都市の生活

ガス・水道・電気などの普及で、西洋風のくらしが広まり、洋風の応接間やガラス窓を取り入れた新しい住宅(文化住宅)が登場した。食べ物でも、カレーライス・コロッケ・トンカツなどの洋風料理が庶民(一般の人々)の間で好まれ、また洋服が、女性の間にも普及するようになった。都市では人口が増加し、サラリーマンが大量に現れ、通勤用の郊外電車がしかれ、乗合自動車(バス)も発達した。女性もバスガールや電話交換手などの職場に進出するようになった。

関東大震災

1923年9月1日に関東大震災が起きる。東京、横浜(神奈川県)を中心とする地域が壊滅状態に。死者行方不明者はやく11万人。混乱の中で朝鮮人や社会主義者が暴動を起こすという流言が広がる。多くの朝鮮人、中国人、社会主義者が殺されました。震災は、都市改造のきっかけにもなりました。

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