【中学歴史】政治史の練習問題(高校入試・実力テスト対応)です。
政治史の練習問題
( )に適語を入れていきましょう。
■正答率90%の政治史の問題
(1)794年に平安京に都を移した(① )天皇は、東北地方の蝦夷を討伐するために征夷大将軍(② )を派遣した。また、この時代の中ごろには、藤原氏が自分の娘を天皇のきさきにし、その子を天皇にたてて、その子が幼い時には(③ )、成長すると(④ )という職について政治の実権を握る(⑤ )という政治の形が盛んになった。また、これら貴族の住居は(⑥ )という形式の屋敷で、ぜいたくな暮らしが想像できる。
(2)1956年、日本は(① )との間で共同宣言に調印し、①の後押しを受けることで(② )に加盟することとなった。1973年、第四次中東戦争の影響で原油の価格が世界的に高騰する(③ )が起こった。これにより日本の高度経済成長は終わりを迎えた。
■正答率75%の政治史の問題
(1)1392年に南北朝を統一した(① )幕府の3代将軍(② )は、対外関係では1404年から(③ )貿易を開始した。③とは正式な貿易船に与えられた合札のことで、このころ中国大陸や朝鮮半島沿岸で海賊行為を行っていた(④ )と区別するために用いられた。③貿易は、この時の中国の王朝名にちなんで(⑤ )貿易とも呼ばれる。また、②は京都の北山に(⑥ )を建てたことでも有名である。8代将軍(⑦ )のとき、将軍家や管領などの家督争いから発展して全国に飛び火したのが(⑧ )である。1467年から始まり、京都は焼け野原となった。
(2)(① )年、日本は連合国の(② )宣言を受け入れ、第二次世界大戦が終結した。(③ )を最高司令官とするGHQのもと、日本の戦後改革が進められた。戦争を経済面から支えていた(④ )を解体し、地主の土地を小作人に安く売り渡す(⑤ )が行われた。また、20歳以上のすべての男女に選挙権が与えられた。日本国憲法も制定された。(⑥ )年の(⑦ )平和条約でGHQの戦後統治は終わり、同時にアメリカ軍の国内駐留を認める(⑧ )条約も結ばれた。
■正答率60%の政治史の問題
(1)1185年、壇ノ浦で平氏が滅んだのち、(① )は弟の源義経を捕えるために、国ごとに(② )、荘園・公領ごとに(③ )を設置した。その後①は1192年に征夷大将軍になる。源氏が三代で絶えると、将軍の補佐役である(④ )の北条氏が政治の実権を握った。1221年、(⑤ )上皇が、幕府を倒し朝廷に政権を取り戻すために(⑥ )を起こしたが失敗し、幕府は朝廷の監視のために京都に(⑦ )を設置した。1232年には④の北条泰時が御家人の裁判の基準を示した(⑧ )を制定した。
(2)1874年、(① )は政府に民撰議院設立の建白書を提出し、国会の早期開設を主張した。1880年には国会期成同盟ができ、翌年国会開設の勅諭が出され10年後に国会が開かれることが約束された。①を中心に広がった、国会開設を求める運動を(② )運動という。国会開設の準備として1885年に(③ )制度ができた。初代③総理大臣は(④ )である。また1889年にアジアで初めての憲法である(⑤ )憲法ができた。
政治史の練習問題の解答
■正答率90%の政治史の問題
(1)①桓武 ②坂上田村麻呂 ③摂政 ④関白 ⑤摂関政治 ⑥寝殿造(2)①ソビエト連邦 ②国際連合 ③石油危機
■正答率75%の政治史の問題
(1)①室町 ②足利義満 ③勘合 ④倭寇 ⑤日明 ⑥金閣 ⑦足利義政 ⑧応仁の乱
(2)①1945 ②ポツダム ③マッカーサー ④財閥 ⑤農地改革 ⑥1951 ⑦サンフランシスコ ⑧日米安全保障
■正答率60%の政治史の問題
(1)①源頼朝 ②守護 ③地頭 ④執権 ⑤後鳥羽 ⑥承久の乱 ⑦六波羅探題 ⑧御成敗式目
(2)①板垣退助 ②自由民権 ③内閣 ④伊藤博文 ⑤大日本帝国
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